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柴田作治郎さん追悼

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柴田作治郎さん追悼

    星野奪還に最後まで尽力

                    
 
 3月16日、今年1月に85歳でご逝去した柴田作治郎牧師の「告別の会」が、札幌の北海道クリスチャンセンターにおいて120人の参加で開かれました。
 関西から駆けつけた小柳伸顕牧師は、若き柴田さんが労働者階級解放の志に燃え、大阪に通って労働組合を回っていた逸話を紹介しました。在日韓国人の林炳澤さんは、入管攻撃と闘い続けてきたことへの謝意を表しました。
 星野暁子さんは心からあふれる感謝の気持ちを込めて、柴田さんの思い出を語りました。1996年に暁子さんは、文昭さんの母・美智恵さんとともに柴田さんを訪ね、「北海道星野文昭さんを救う会」の代表になってほしいと要請しました。「柴田が責任をもって引き受けます」との力強い快諾の言葉は、暁子さんと美智恵さんにとって本当にうれしいものでした。そして柴田さんは02年に全国再審連絡会議の共同代表に就任し、その責任ある立場を終生まっとうされました。06年には、徳島刑務所に赴いて文昭さんと面会されました。「柴田先生の遺志を継いで、必ず文昭を取り戻します」との暁子さんの誓いは、参加者全員の胸に響きました。
 柴田さんは函館市役所勤務をへて牧師となり、本州各地を転任して小樽市の比較的大きな教会に赴任しましたが、1980年代後半、解雇された国鉄労働者の支援に立ったために教会内外の圧力を受けました。意思を貫くために教会を去り、小樽望洋台伝道所を設立、さまざまな分野で活動を展開してきました。「自分も国鉄解雇者の1人だ」と地元の闘争団員を支え、階級的原則を曲げる国労本部の屈服をその都度真っ向から批判しました。
 星野救援運動においては、反革命カクマルによって「殺人者・星野に加担する現代のユダ」などと書き殴ったビラを道内の全教会に郵送されるなどの激しい攻撃を受けましたが、屈しないばかりか、キリスト者としての信念をもってカクマルをも諭す姿勢を貫きました。文昭さんの母・美智恵さんが亡くなったことは、柴田さんにとって大きな悲しみでした。
 その後、「文昭さんは最先頭で天皇制と闘っている」として、星野奪還の運動に最後まで全力で取り組むとともに、「市民運動だけでなく労働運動が立ち上がることで文昭さんを奪い返す」として、労組交流センターが星野同志奪還の闘いに取り組み始めたことに大きな期待を寄せていました。
 柴田さん、長年のご奮闘ごくろうさまでした。ご遺志を継いで、労働運動の再生と一体で全証拠開示の大運動をもって星野文昭同志を奪還し、国鉄決戦・反原発決戦で天皇制もろとも日本帝国主義を打倒します。
 (北海道・鈴木潤)

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