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経産省前テントひろばオープンマイク第52回「霞が関の中心から愛を叫ぼう」に参加しました!

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3・11郡山集会はプレイベントから参加してね!12時からだよー!
 
 
 
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今、愛するひとがいるなら原発はいらない!どこにもいらない!

豊かな大地を一瞬に奪われ
私たちの生活もまた変わった
何のためなのか
誰のせいなのか
その答えはわかっているのに

今、愛する人がいるなら原発はいらない!どこにもいらない !

子供たちを守ろう
避難させよう
未来つむぐ子供たちを守ろう
全部ウソだった
収束はしてない
この怒りはつきることはないけど

今、愛する人がいるなら原発はいらない!どこにもいらない!

診療所をつくろう
拠点をつくろう
私たちは闘う
生きるために闘う
福島に希望を
福島に未来を
希望を託すこどもたちともに

今、愛する人がいるなら原発はいらない!どこにもいらない!
今、愛するものがあるなら原発はいらない!どこにもいらない !
 
 

一坪たりとも渡すまじ
 
 
【作詞・作曲】沖縄青年合唱団
       佐久川 末子
       昆布土地を守る会
       第4次日本のうたごえ代表団
 
1.東中国海前に見て       (原詩には・・東シナ海とあります)
  わしらが生きた土地がある
  この土地こそ、わしらが命
  祖先ゆずりの宝もの

2.われらはもはやだまされぬ
  老いたかたき手のひらは
  野良の仕事の傷のあと
  一坪たりとも渡すまじ

3.黒い殺人機が今日も
  ベトナムの友を撃ちにゆく
  世界を結ぶ この空を
  再び いくさでけがすまい
  世界を結ぶ この空を
  再び いくさでけがすまい
 

「生活の柄もどき」
原詩  山之口 獏
作曲  東迎(とうげい)
 
歩き疲れては 夜空と陸との 隙間にもぐり込んで
草に埋もれては 寝たのです
歩き 疲れては 草に埋もれて 寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです
 
このごろは 眠れない
陸をひいては 眠れない
夜空の下では 眠れない 
揺り起こされては 眠れない

そんな僕の 生活の柄が 夏向きなのでしょうか 
寝たかと思うと 
またも冷気に からかわれて
歩き 疲れては 草に埋もれて 寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです
秋は 秋は浮浪者のままでは眠れない
秋は 秋からは 浮浪者のままでは眠れない
歩き疲れては 夜空と陸との 隙間にもぐり込んで 
草に埋もれては 寝たのです 
所かまわず 寝たのです ♪
 

「スクラム組んで」
作詞・作曲 東迎(とうげい)
 
闘う仲間がいる
まだみぬ友がいる
海を越えた団結の力で
圧政の壁を打ち砕こう
こぶしを上げて
こぶしを上げて
ストライキにたちあがろう
こぶしを上げて
こぶしを上げて
ストライキにたちあがろう
 
 
鉄鎖以外に失うものはない
奪われたものは取り戻せ
資本家を倒し取り戻そう
スクラム組んで
スクラム組んで
ストライキに立ち上がろう
スクラム組んで
スクラム組んで
ストライキに立ち上がろう

 
 
資本主義を倒せ
分断を打ち破りて
世界をつなぐ団結の力で
未来を築く団結の力で
スクラム組んで
スクラム組んで
解雇撤回闘おう
スクラム組んで
スクラム組んで
解雇撤回闘おう
 
 
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台湾:反原発デモに数万人・・・・・・・3月11日郡山集会へ!

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台湾:反原発デモに数万人

毎日新聞 2014年03月08日 18時41分(最終更新 03月08日 19時30分)
 
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 【台北・鈴木玲子】台北郊外の新北市に建設中の台湾電力第4原発の建設中止などを訴える反原発デモが8日、台北市や南部・高雄市など8カ所であった。環境保護団体などが呼びかけ、原発立地の地元住民や若者らを含め、数万人が参加した。台湾で原発は3カ所に2基ずつ計6基が稼働し、さらに日本企業が主要部分を供給する第4原発(2基)が建設中。2011年の東京電力福島第1原発の事故後、地震多発地帯の台湾では原発の安全性を懸念する声が上がっている。
 台北のデモは雨の中、市内3カ所から中心部に向かってそれぞれ数キロずつ行進した後、総統府前で集会を開き、「原発はいらない」などと訴えた。
 第4原発については、昨年に立法院(国会)で同原発建設中止の是非を巡る住民投票実施案が審議入りしたのに伴い工事は中断。その審議は、政府による同原発安全検査報告書提出まで見合わせるとして凍結状態になっている。反原発を訴える大規模デモは昨年3月にも行われた。

都知事選を「縁の下」から支え続けた闘い

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月刊労働運動3月号より
 
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北陸ユニオンの闘い報告

労働組合復権にかけきった都知事選

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月刊労働運動3月号より
 
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退職強要を直ちにやめろ!

団交引き延ばしは断じて許せん!

八王子西郵便局はS君への退職強要を直ちにやめろ!


明日、郡山集会に行きます!

第51回「After311~霞ヶ関の中心で愛を叫ぶ!」1 浦邉力

3・11福島現地(郡山)集会へ行こう!

3・9力あわせる200万群馬 さよなら原発アクション2014

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3・9力あわせる200万群馬 さよなら原発アクション2014 

一昨日と今日の強風が嘘のような穏やかで気持ちの良い日だった昨日3月9日
 
「3・9力あわせる200万群馬 さよなら原発アクション2014」が高崎の城址公園で行われました。
 
ホントに良い集会だったと思います。
私たちは3・11の地震・津波、それに続く原発の爆発、放射能汚染を絶対に忘れません!
世界中から核と原発がなくなる日まで闘い続ける!と決意を新たにしました。
 
反原発は大きな命の問題です。
ですから環境から考える人、食べ物から考える人、労働から考える人、日本を考える人、世界を考える人、エネルギー問題として考える人様々な視点から考える人が一堂に会してのこのような集会はとても意義のあるものだと思います。
 
しかも!しかも!高崎ですからね。
原発呼び込み人中曽根康弘の地元ですから。
 
 
ホンの一部ですが紹介させて頂きます
 
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げんきいいぞう&サーカスはリヤカーに乗って
 
後にみえているリヤカーに乗ってサーカスは反原発を訴えながら旅をする。
 
ブースも大盛況でした。
みんなやってみたいよね。私もやってみたかった。。。
ステージが終わってみずっと会場を盛り上げ
デモ終了後もパフォーマンスを見せてくれました。
 
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ねっ!
 
我らがNAZENの幟を♪
幟は大空にハタメイタ~ 
 
 
 
 
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スパングルズはやっぱサイコーでしょ♪
cool & beauty ~
 
動画も見てね!
 
 
 
 
 
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南條倖司&マアさん
スパングルズとフラダンスも共演しました。
私、マアさんの歌好きなんだ。
優し~~~~いお母さんの歌って感じなの。あっもちろん倖司さんも好きです!
 
 
福島から希望の牧場 吉沢正巳さん。http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp/
自分の車が宣伝カー仕様です。
これで全国どこへでもアピールに出かけるそうです。
政府に殺処分しろ!って言われる牛を飼い続ける事が政府に対する最大の抗議行動だ!
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浪江は原発を作らせなかった町だ、それでも隣の原発が爆発したら住めなくなった。
浪江は墓石も倒れたまま、海辺は津波で何も無くなった!
牛に白斑が出始めたと。。
 
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足元を見てみて。
一歩でも近くで訴える!って気持ちだと私は思う!
ステージスペースより前でお話してくれました!!
 
 
そして制服向上委員会♪
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若い子にはパワーがありますね♪
会場全体がノリノリでした。
 
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デモも一緒に!!
彼女たち、気さくでカワイイの。へへへお話しちゃったよ。
アイドルなのに。。。追っかけが。。。なんかぁ年配者ばっかりなのは。。。ごめんね。。。
若い子もあなたたちみたいに普通に「反原発です!」って声が上げられるように一緒に頑張ろうね。
♪ダ・ダ・ダ・ダ 脱 原発♪
 
 
生活クラブ生協群馬
原発をなくす前橋連絡会
すべての原発いますぐなくそう!全国会議(NAZEN)ぐんま
 
からアピールののち
集会宣言が読み上げられ
和太鼓にのってデモ開始。
 
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みて!
ず~~~~~っと向こうまで隊列が続いてるでしょ!
 
見よ群馬の底ぢから!!
参加1500人ですってよ!
 
さてさて興奮が冷めませんが
明日はいよいよ反原発福島行動です。
寒さ対策を万全にして郡山へ!!
 
 

スパングルズat高崎「力あわせる200万群馬さよなら原発アクション」

星野文昭さんのメッセージ

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  3・11フクシマ闘争へのメッセージ
                 星野文昭(徳島刑務所在監)

酷寒の中・フクシマに思いをこめて

 三周年目の3・11に、磐梯山、只見川の絵に続く、フクシマ三部作になる、「3・11に、福島・花見山」を描きました。暖房のない酷寒の中で身を削って描くことが何よりの共闘になるという思いを込めました。そして、そこに込めたのは「福島の全てを返せ!」です。「仕事も生活も自然も全て返せ!」です。

1%の資本家・権力に責任を

 全放出量の20%、広島型原爆数十発分の放射能を地上に降らせ、今も小型原爆並の放射能汚染水を放出し、原発労働者はもとより福島を中心に被曝を強い、既に疑いを含め児童77名の甲状腺ガンを生み、自然も、仕事も、生活も、人生そのものも奪っています。
 自民党政府と電力・原子力産業はじめ、「原発は安全」のウソで利権・金儲けのために原発を推進した1%の資本家・権力の責任を、絶対に取らせなければなりません。今、彼らはその責任から逃げ、再稼働・輸出によって1%の利権・金儲けのためにフクシマを繰り返し、再び全ての労働者人民の全て・未来を奪おうとしていることなど、人類そのものへの挑戦であり、絶対に許せません。
 彼らは、安倍を先頭に、かつて労働者人民 に治安維持法等の大弾圧を加え、侵略戦争・太平洋戦争で、アジア3000万人、日米等の人民数百万人を虐殺しながらその責任を開き直り、賛美さえして、再び軍事独裁国家の下の戦争の道を掃き清めようとさえしています。だから、原発・核に固執するのです。

原発・戦争に走る新自由主義

 彼らは、労働者から搾取し、人民から収奪し、むさぼり、金儲けのために労働者人民を人と見ない新自由主義によって巨大な過剰資本を抱え込んで、今日、大恐慌、大失業、大不況を生み、労働者人民の犠牲の上に成り立つ財政、金融政策によって破局の泥沼にあえぐ以外になく、また、そのなかで彼らの金儲けと延命のために、労働者人民に原発もそうですが、解雇・非正規・長時間労働・過労死などを無慈悲に強い、さらに戦争による殺し合いさえ強いる以外になくなっています。

団結して人間本来の社会を! 星野勝利へ

 今や、これらの攻撃が、全世界共通に労働者人民に襲いかかっているなかで、この共通の敵へ、労働者人民の怒りが地に満ち、全世界で立ちあがっています。
 この怒りと決起を、スターリン主義や体制内指導部の制動や「逡巡」や「諦め」を打ち破って解き放ち、労働者人民の心からの自己解放的決起をかちとるのは、都知事選において鈴木さんが訴え、動労千葉・水戸、国労郡山支部をはじめとした「生産を担い社会を動かしている労働者・人民が団結し立ち上がれば、これらの攻撃を打ち砕き、世の中を変えることができる」という闘いそのものにあります。
 生産を担い、社会を動かしているのは労働者であり、人民です。金儲けのために労働者人民を虫けらのように扱う1%の資本・権力と団 結して闘えば、勝利できるのです。この団結の力で、解雇・非正規・長時間労働・過労死、原発、改憲・戦争、私たちの星野無期はじめ全弾圧、これらを打ち砕き、1%の資本・権力を打倒し、全てを奪い返して、誰もが人間らしく喜びをもって生きる社会を運営するという、人間として最高の喜びのために生命を輝かし生きる、そのような人間本来の社会を絶対に手にしましょう。
 このような、全てを奪おうとする攻撃を、全てを奪い返すことで打ち砕き勝利する闘いとして、「無実で無期」を全証拠開示-再審・解放の闘いで覆す星野闘争に共に勝利しましょう。

 
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3・22 三里塚全国集会へ!


集団的自衛権に反対する 4・27集会

ウクライナ情勢

子どもが甲状腺がんに・・・ 母が苦悩の告白3/11報道ステーション(内容書き出し)

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子どもが甲状腺がんに・・・ 母が苦悩の告白3/11報道ステーション(内容書き出し)

「お母さん放射能は調べないでくれ」って泣いて訴えるんです。
だからうちではもう、放射能の話はタブーなんです。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3607.html
みんな楽しくHappy♡がいい♪

子どもが甲状腺がんに・・・
母が苦悩の告白



福島の18歳までの若い方の甲状腺がんについて、今日はお伝えしたい事があります。

まず、現在の考え方からです。
福島原発の事故由来の放射能と、当時18歳よりも若かった福島の方々の甲状腺がんが出た、と、
この因果関係は「考えにくい」というんですね。
「考えにくい」というより「分からない」ではないか、という疑念を番組では持ちました。

これは「因果関係がある」とか「ない」とか、
「どちらも分からないのではないか」というところから福島での取材を始めました。

そして今まではですね、若い方の甲状腺がん、子どもの甲状腺がんというのは
100万人にひとりかふたり」と言われていました。

福島では現段階で、27万人の方が検査を受けてうち33人が甲状腺がんと分かり、摘出手術を受けています。


33人。
これまでおよそ27万人の子どもが受けた福島県での甲状腺検査で癌と確定した人数だ。
すでに摘出手術を終えている。
子どもの甲状腺癌は年間100万人に1人から2人とされてきたが、今その数字は大きく覆されている。
33人。




古舘:
お子さんの甲状腺がんが発見されて摘出手術を受けたという親御さんにこの番組では接触を試みました。
7人の方に接触させていただいたんですが、
やはり、インタビューをお願いするとことごとく断られました。
いろんな事情があると思います。

そしてある方はこういう事をおっしゃいました。
担当したお医者さんに「こういう事に関しては周囲にしゃべらない方がいいだろう」と。
「お子さんの就職の際などはマイナスになるから」という様なアドバイスを受けたという方もいらっしゃいました。

そういう中で、番組ではお一人のあるお母さん。やはりお子さんが甲状腺がんだったんですが、
その方は迷いながらも、音声を変えて、そして顔を映さないなど、
様々な条件がクリアされれば「この胸の内を語ってもいい」といって下さいました。
その方にお話を伺います。


10代の子どもを持つ田中佳子さん(仮名)
県の検査で子どもの甲状腺に5mmを超えるしこりが見つかった。
甲状腺がんだった。
周辺のリンパ節の一部の切除した。


田中:
小さい10代の子どもでも「がん」と聞けば、「なぜだ」って
「なぜだ、自分だけがなぜなんだ」
「どうせがんなんだから死んでしまう」そこまで言われました。

古舘:はぁ・・・、

田中:
親として励ます言葉をどうやってかけていいか分かりませんでした。
だから一緒に、「死ぬときは一緒だからな」って、言いました。

古舘:あぁ・・・、そこまでおっしゃいましたか




田中:
夫と子どもは私に「放射能の話はするな
お母さん放射能は調べないでくれ
泣いて訴えているんです。
だからうちではもう、放射能の話はタブーなんです。

毎日が喧嘩になります。
夫は「知らないのが一番幸せなんだ」って、
知らないで生活するのが一番いいんだ


古舘:「つきつめていけばいくほど辛いじゃないか」っていう考えなんでしょうかね…。

田中:
そうです。
だって、
なってしまったんです。
取ってしまったんです。
戻ってこないんです。



田中さんは日々の様子を詳細にノートに記している。
事故当時家の近くは年間の線量でおよそ40ミリシーベルト。
家の雨どい付近では85ミリシーベルトという高い値だった。
子どもは部活に熱心で、原発事故で学校が休みになっている間もひとり雪の中練習していた。

古舘:
2011年3月15日。
大変な量の放射線が降り注いだという時も、全く普通と、今お話し下さったような日常だった。

田中:
そうです。
あの、その日は雪が降ったんです。
で、その日は近所の奥さんが「うちの井戸水を使っていいよ」っていうことで、
みんなして(水を)汲みに行きましたから。
そして「ああ、雪が降ってきたね」っていうかたちで、
とにかく水はあらゆるところを探して歩きました。

古舘:ああ、そうですか。



その震災から7カ月後、県の甲状腺検査が始まった。
1次検査で異常がないとされるとA1判定。
5mm以下のしこりや甲状腺に水分が溜まってできるのう胞が20mm以下の小さいものがあるとA2判定になる。

 

それを超える大きなしこりやのう胞が見つかるとB判定、C判定とされ二次検査が必要になる。
癌の疑いもあるためさらに詳細な検査が行われる。
そもそもなぜ甲状腺検査が必要なのかといえば、原発事故と深い関係があるからだ。

甲状腺は成長や発達を促すと同時に全身の新陳代謝を調整する甲状腺ホルモンを作りだす。
問題なのは、この甲状腺が必要とする栄養素が「ヨウ素」だということ。
原発事故で放出された「放射性ヨウ素」も甲状腺は区別なく取り込んでしまう。
甲状腺に集まった放射性ヨウ素は放射線を出し続け癌の要因の一つとなる。
新陳代謝が活発な子どもほど放射線の影響を受けやすくなる。

田中さんの子どもは1次検査でB判定。
つまり、5mmを超えるしこりが見つかった。
しかし、手元に届いた通知はこのわずか1枚。



何の説明もなかった。
2次検査まで半年以上待たされた。
田中さんは半年も待てず他の病院を探したが、そこで思いもよらない事を言われたという。



田中:
いざそこに行きましたら、
「(病院の)事務所の手違いです、ここでは検査する事はできません」
「(県が)決めている事なので、個人の病院では検査することはできません」と言われました。
(病院の)事務所では、「どうぞ検査に来られてください」と予約までとりましたので、
いざ先生とお会いしたら、先生は
うちは出来ません。ここでは出来ません。(県が)決めている事なので


県内で甲状腺の一時検査を行えるのは県立医大のみ。
来年度から増やす予定があるが、それに選ばれるためには条件がある。



エコー検査をするだけで診断はせず、検査データはすべて医大に送らなければならない。
甲状腺に問題があるかどうかの診断は、医大が一括して判定する仕組みだ。

なぜ県立医大だけに診断の権限が集中しているのか?
甲状腺の第一人者で検査の責任者でもある、県立医大の鈴木教授に話を聞いた。



福島県立医科大学 鈴木眞一教授:
お母さん方が心配でどこかで調べる。
するとそこの先生が今度は、「のう胞じゃなくて結節だ、しこりだ」と言ってもう一回(県立医大に)まわる。
で、そうするとそれは全然違う、あの、おー、
小さいお子さんに特徴的な甲状腺の中に認められる胸腺であったり、
あの、血管であったり。
血管をのう胞と言っている。
「私どものところでやった検査と同じレベルの事をやって下さいね」ということも理解してもらわなければいけない。


つまり、県立医大と同じやり方で検査しなければ、異なる診断が出て混乱を招くというのだ。
しかしそれは県立医大以外での客観的な診断を抑えつける結果になるのではないか?


県立医大の検査については不信感を持っている住民もいる。
県の検査で20mm以下ののう胞が見つかった中学生の女の子の母親が取材に応じてくれた。



のう胞が見つかった中学生:
(県の検査は)人数も多かったのでしょうがないかなと思ったんですけど、
やっぱり3分や5分では足りないのかなって思いました。
流れ作業のようだったです。

娘にのう胞が見つかった母親:
どこにどれくらいの大きさのものがあるとか、
たとえばこれから、これ(のう胞)がこういうふうになる可能性がありますとか、
そういう説明は一切なく、あの、「説明してほしい」と言ってもなく、
ただこの文章、2行の文章だけ。
「検査はしません」
ということで、



20mm以下ののう胞は県の基準ではA2判定で二次検査の必要はない。
しかし、不安を抱いた母親は県立医大とは距離を置き、県の検査には批判的な診療所を訪ねた。


のう胞が見つかった中学生:
検査の時間が倍以上かかったので、
流れ作業っていう訳ではなくて、時間をかけてじっくり診てくれるっていうのが安心しました。



親子が再検査を受けた診療所。
松江院長は排他的な県立医大の診療方法を強く批判している。



松江寛人院長 ふくしま共同診療所:
検査を受けたけれども「不安だ」っていうのは当然なんですよ。
(県立医大は)「患者に直接説明するな」って言っているんですよ。
それ(患者への説明)も我々がやりますと。
それもね、検査の結果を文章で我々が渡しますと。
なので「(受診者に)直接説明をするな」っていうんですよ。
こんなことありえないですよ。

親子は定期的に検査を続けている。



娘にのう胞が見つかった母親:
先月3ヶ月ぶりに検査をしたんですけど、しこりが突然っていうか、出来てて
「あ、そういうこともあるんだ」というのを知って、
この先どういうふうに変わっていくのかという不安な気持ちと、
なにも終わっていないっていうか、
この先も続くという思いで生活をしています。


原発事故後体調を崩した娘は、学校の先生に「放射能への不安」を相談したが、
「心配し過ぎだ」と相手にされなかったという。

不信感が募り、今は学校に行けなくなっている。
この女の子が今望んでいる事。


のう胞が見つかった中学生:
包み隠さず、その情報を公開してほしいです。
その情報を公開することで救われる人たちのいると思うし、
やっぱりこれから生まれてくる人達の事も心配なので、


県の甲状腺検査では、この情報公開についても後ろ向きだ。
たとえ検査を受けた本人であっても自分のデータを受け取るためには
県に対して情報開示請求までしなければならなかった。
批判を受けて手続きは簡素化されたが、
それでも申請書類が必要で、受け取るのに3週間ほどかかる。
県立医大に理由を聞いた。


鈴木眞一:
甲状腺のエコーの場合には渡さないのが一般的です。
渡すとなると、渡し方に責任があるので、

えーっとこれは何度も検討しました。
決して我々は渡したくない訳ではないので、渡すんなら渡そうと思ったんですけど、
そうすると、それによる不利益や齟齬(そご)もある場合の非常に多いので、
現実的には、あの、実現しなかったという事です。


再び冒頭で紹介した母親の話を聞く。



田中さんの子どもは甲状腺癌にかかり、すでに切除手術を受けた。
その手術の前に言われた事を今もはっきりと覚えている。
医師が「甲状腺がんの進行は遅く危険な癌ではない」と説明したうえでこう話したそうだ。


田中:
「いま大きくなる様なことはまず心配はありませんから、焦らなくていいですよ」
「いまここで切らなければ、(症状が出る)30歳、40歳になってから、
『見つかった時にきればよかったな』っていうふうに思わないですか」とまで尋ねられました。
「だったらそんなに急がなくてもいいんじゃないですか」と思いましたので、
「じゃあ、2~3年待って下さい」
「子どもがもう少し冷静に判断能力が付くようになってから手術してもかまわないんじゃないですか?」
ともお尋ねしました。

そしたら、「前例がありませんから」
発見されてから放置しておくという前例がないので、
見つかったんだから、やはり直ちに切るというのが本当でしょう
」と

古舘:うわァ・・・・、その両方を言われた訳ですか。

田中:
あんまり、時間をおいて悩んでいるよりは、早く解決したかったので、
半年以内に手術に挑みました。


いま見つかっている子どもの甲状腺がんについて、県の第3者委員会は
「原発事故の影響は考えにくい」としている。



星北斗座長 県民健康管理調査検討委員会:
放射線の影響はどうかという事については今後きちんと検証する必要があると思いますが、
これまでの知見から言うと「考えにくい」という表現を使っております。
「分からない」というのが正しい表現というのもありますけど、
でも今現時点で我々が知っているこれまでの知見の積み重ねから言えば想定内だろうというふうに言えます。


田中さんはやり場のない思いを抱えている。

田中:
「まだ放射能の事をしゃべるの?心配しているの?」
「まだそんなことばっかり考えてるのかい?それじゃ前に進めないじゃない」
そういう方がいらっしゃいますね。
信頼や信用のおける親戚でも、頼りにしている方でも、
「大したことないんじゃない、そんな事」
「切れば治るんでしょ!死ぬわけじゃないんでしょ!」
「言っちゃ悪いけど、大したことないじゃない!」3回言われました。
大したことあるんです。
それが悔しいです。

だから私は自分で罪なのかと思っています。
「本当の事を知るのが罪なんだろうな」って。



古舘:
例えばですね、福島県以外で別の県で、たとえばお子さんが甲状腺がんになった。
これが分かった時にはですね、病院は福島県のケースよりも手厚く、と言いますか
丁寧に相談に乗ってくれる可能性というものががみえてくるんです。
福島県でこういう状況になった子どもが邪険にされている、その件。
もしそうだとしたら、こんな不条理はありません。

それに付随して言える事はですね、やはり親御さんでお子さんが甲状腺がんだった方で危惧するのは、
18歳を過ぎて大きくなった場合には検査、あるいは治療、そういう事が有料になる可能性があるという事。
これもおかしな話です。

引き続きチェルノブイリの例を見ながらこちらをご覧ください。  
 
続きのユーチューブは転載元のここから見て下さい。
↓↓↓↓
 
http://blog.goo.ne.jp/chiba20110507/e/7ef046867d04759204f7d590e0c381ac

3・22沖縄発反原発デモ

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3.22脱原発デモ@沖縄 ~国際通りでフリフリ脱原発vol.11~やります!

◇場所
県庁前広場から国際通りを歩いて牧志公園まで

◇日時
平成26年3月22日(土)
16時30分 県庁前集合
17時 デモ出発
18時 牧志公園到着、デモ終了


です。
詳細決まりましたらまたUPいたします。
どうぞよろしくお願いいたします。



藤原桃

連絡先
mail nahademo63@live.jp
(急ぎの際はこちらへ→ wolfgirl1022@hotmail.com)
Twitter @fujiwara_momo (藤原桃)
疑問点などありましたら、お気軽にご連絡ください。
コメントに書き込んでいただいても大丈夫です。

つながれ、命と祈り~横浜で「3.10東日本大震災かながわ追悼の夕べ」開催

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つながれ、命と祈り~横浜で「3.10東日本大震災かながわ追悼の夕べ」開催

                                 西中誠一郎
3.11東日本大震災の前日、横浜市関内駅前の公園で「3.10東日本大震災かながわ追悼の夕べ」が開催された。震災と原発事故により神奈川県内には2390人の避難者が在住している(復興庁2014年1月28日現在)。
3年の月日をへて、ようやくわたしたちは 失われたもの奪われたものたちに向き合おうと思います。そして3.11によって失われ奪われた あらゆる「いのち」と「ふるさと」に、祈りを捧げる場を開きます。神奈川に避難してきた方々と、とうほくにつながろうとするかながわの人々が ともに開く追悼の場です。(「3.10東日本大震災かながわ追悼の夕べ」チラシより)
3月10日の昼間には、神奈川県はじめ関東地方に避難している福島原発事故被害者12世帯27人が、国と東電を相手に損害賠償請求訴訟を横浜地裁に提訴した(第一次提訴17世帯44人 第二次提訴6世帯22人)。裁判の原告や支援会、神奈川県内で震災や原発事故による避難者の支援活動に関わる市民団体、福島県内で放射能測定を続ける市民団体などが呼びかけ団体となり、「追悼の夕べ」実行委員会を立ち上げた。
夕方、横浜の海に程近い公園には寒風が吹きつけ凍えるようだったが、多くの市民が手にロウソクの灯火を掲げて祈りの場に参加した。
「私たちは震災、原発事故から3年目をむかえようとしています。轟音と一緒に流されてしまった多くの命、震災関連死、未だに収束していない福島原発。私たちはこの辛い現実に向き合い、前に向かって歩んで行かなくてはなりません。家族や仲間たちの会話、町並み、これまで積み上げてきた先祖からの歴史、色々な思い出、失ってもなお心に鮮明に故郷を忘れまいと今宵祈りを捧げる場を開きます」。福島県双葉町から横浜市に避難している山本敦子さんが司会をつとめ、開会を告げた。
実行委員長の坂本健さんは富岡町から家族で横浜市に避難した。避難生活が長引くにつれ、「強制避難」「自主避難」の区域別による原発事故被害者間の分断が、神奈川県下の避難者の間でも広がっていった。震災•原発事故から1年半が経った頃、皆でまとまって少しでも避難生活を改善していこうという目的で、坂本さんたちは「避難•支援ネットかながわ」を立ち上げた。
「3年の時間経過の中で、ひとりまたひとりという風に命が奪われていきます。原発事故がなければこのような状況にはなっていなかったはずです。原発事故による事実、今起きている事、避難者が置かれている状況、そういったものに皆さんが、私も含めて、向き合って、自分の家族が同じ状況におかれたらどうなるのだろう、そしてその時間を見過ごしてしまっている日本の形、日本社会の成り立ち、その根底に横たわっているもの、そこを直視してそれに思いを馳せて、はじめて亡くなった方々への追悼の思いというのが出来上がっていくのではないかと思います。
私たちは私たちのみではなくて、私たちの子ども、そして次の世代にこの日本を引き継いでいかなくてはならないと思います。私自身、避難者という立場で、何ができるのか考えていきたい。皆さんと一緒に追悼の思いを、そしてこれからの子ども達のこと、心の中で考える時間を共有したいと思います」。
坂本さんは一言一言噛み締めるように語り、横浜から東北に繋がる海に向かって黙祷を捧げた。
続いて、大玉村から母子で相模原市内に避難している鹿目(かのめ)久美さんが語った。
「震災前、私は普通の主婦でした。避難して最初の2年は人前で語るようなことや、反原発の集会に参加するようなこともありませんでした。デモに参加している人たちとの温度差をどうやって埋めようかと過ごしてきました。
 関内は転機を与えてくれた場所です。関内で始めて反原発のイベントに参加し、自分の体験を人前で話ました。それで私の考えも変わりました。もっと福島の声を聞きたいという人がいる。今福島にいるお母さんの思い、避難したくてもできない人たちの複雑な思い、それを語ってきたつもりです。それが残された人のためになっているのかどうか、私にも分かりません。3年目の節目に私たちが話すことで少しでも心を寄せてくれる人たちが増えたら、きっとこの先、何か大きな流れがくるのではないか、あきらめないで続けていこうと思います。
 私の娘は今小学校1年生です。当時4歳だった娘に大きなリスクを背負わせてしまったと考えています。私はこれから先の希望である子ども達の未来が少しでも明るくなるように、力を注いでいこうと思います。しかし私ひとりの力ではどうにもなりません。ここに集まったひとりひとりが手をつなぎ、それが大きな流れとなって、いつか皆が笑顔でいられる世の中になるように、強く強く願っています」。
鹿目さんは、現在、春・夏・冬休みに福島の親子を招いて、約1週間の保養キャンプを行う「母ちゃんず」の活動に精力的に関わっている。
追悼集会はウクライナ出身のカテリーナさんが演奏する民族楽器バンドウ―ラと歌声で、深い祈りの時に包まれた。カテリーナさんはチェルノブイリ原発の労働者の街、プリピャーチで1986年に生まれた。父親は原発事故後も原発労働者として働いたが、一昨年、放射能被曝が原因とみられる複数のガンで亡くなった。カテリーナさんは幼少からウクライナの民族楽器バンドウーラに触れ、演奏と歌唱法の手ほどきをうけてきた。チェルノブイリの子どもたちの音楽グループで活動し、10歳の時日本公演で初来日、16歳から声楽やバンドウーラを本格的に学んだ後、2008年に音楽活動の拠点を東京に移すため再来日した。現在、日本全国で精力的に演奏活動を続けている。日本で活躍するバンドウーラ奏者は2人しかいない。カテリーナさんと姉のナターシャさんだ。
 「私はチェルノブイリ原発から3.5キロしか離れていない街で生まれました。生まれてすぐに故郷から離れなくてはならなくなりました。残念ながら今、戻れない街になりました。キエフに避難して学校に通いました。学校の友達はキエフで生まれた子どもたちが多かったですが、私のように原発の街で生まれた子どもたちも沢山いました。残念ながら私たちは学校でずっといじめられました。なんとかそれを乗り越えて勉強して卒業して、あるきっかけで日本に来て、日本で音楽活動ができて、それは凄く嬉しかった。結婚して子どもも生まれました。故郷から遠く離れた日本に家族ができました。私のパパとママはずっと私たちの健康のことを心配していました。
 チェルノブイリ原発事故から25年以上が経ちましたが、日本でも同じ事故が起きてしまった。今度は私が、私のパパとママのように自分の子どもを守らないといけないですね。まさか自分の人生で2度も原発事故に遭うとは思いませんでした。私は原発で一番大切な人を失いました。そして今、同じウクライナで再び大変なことがおきています。昨年末から何も悪い事をしていない人が大勢亡くなりました。どうして世界で毎回こんな大変なことが起きるのか?
 私の人生で一番大切な人、私は音楽で歌で、平和のこと将来の子どもたちのこと、祈りたいです」。
 ウクライナ民謡「金色の花」「静かな水」や「アヴェマリア」、「ハナミズキ」「見上げてごらん夜の星を」計5曲が寒空の下で演奏された。63本の弦が奏でるバンドウ―ラの繊細なアルペジオの響きに導かれて、透明で優しい祈りの歌声があたり一面に広がり、夜空に吸い込まれていった。
【参照サイト】
「3.10東日本大震災かながわ追悼の夕べ」チラシ
http://kanagawagenpatsu.bengodan.jp/wp-content/uploads/2014/01/20140310.pdf
Hsink「避難•支援ネットかながわ」
http://hinansien-netkanagawa.org/
「福島原発被害者支援かながわ弁護団」
http://kanagawagenpatsu.bengodan.jp/
「母ちゃんず~子どもの未来を守りたい」
http://karchanz.jimdo.com/
「KATERYNA」
http://www.kateryna-music.jp/profile.html
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