Ⅱ新自由主義下の在本土沖縄青年労働者の新たな闘いへの挑戦
(2)「基地撤去、外注化・非正規職撤廃」闘争として、5・15沖縄現地闘争に決起しよう!
●新たな基地建設を絶対許すな!
戦後68年間、沖縄現地で永続的に闘われてきた「米軍基地撤去」の闘いの本質は「米帝・日帝」支配体制を打倒する闘いである。特に復帰後の「米軍基地撤去」の闘いは日帝支配の根幹を揺るがす闘いとしてあり今もその攻防が続いている。
「抗議や陳情に終始し、大衆デモもその補助的意義しか与えられず、結局は『主席』や『首相』など他人まかせになってしまう復帰協のそうした限界を突破し、人民自身の実力闘争で帝国主義を打倒しようとする反戦派の思想と行動が沖縄にももたらされた。(中略)人間として生まれながら、資本主義社会の中で搾取され抑圧されて、ついには武器をもって殺し合いまでさせられる労働者階級としてのわれわれは、もはやそのような自己のあり方に耐え忍んでいることはできない。人間の真の自由・真の平等、世界の真の平和のために、抑圧の根源・戦争の根源である帝国主義(国家権力)を、われわれ自身の実力闘争で打倒していかなければならない。これがわれわれの思想の根本である」(『沖縄反戦ニュース5号』)。この沖縄現地からの普遍的問いかけに答え続けなければならない。
97年から続く辺野古新基地建設阻止の闘いは日米帝の思惑を吹っ飛ばして辺野古新基地建設そのものを粉砕し続けている。そこに沖縄-本土の労働者階級の勝利性がある。新たな基地建設を絶対に許してはならない。民主党そして自民党と政権が変わろうと、沖縄労働者階級の基地撤去の闘いは揺れることなく日帝を攻め続けているのだ。
●基地問題を解決できない日米帝国主義
3・11大震災・原発事故直後に、米帝は米韓軍事演習を変更し、三陸沖に空母ロナルド・レーガンをはじめとして艦艇20隻、航空機160機、2万人もの米兵を投じた「トモダチ作戦」を展開した。米軍は被災した仙台空港にパラシュート部隊を降下させて滑走路を修復し、大規模な空輸作戦を行い、「住民の安全」を確保するという名目で日米軍事演習を強行してきた。
米軍は自衛隊との日米調整所を設置し、自衛隊もまた統合任務部隊の一元化指揮のもとに陸海空10万人体制をつくり、労働者階級への「住人の安全」をかかげ警察権力と一体で治安弾圧体制を強行した。
米帝は「トモダチ作戦」を事実上集団的自衛権の行使として強行すると同時に、日帝を大恐慌下情勢における日帝独自のアジア勢力圏化を阻止し、米帝の日米安保体制そのものを対中侵略体制下に組み敷く攻撃として強行してきたのである。しかし、米帝は三陸沖から空母ロナルド・レーガンを早々と逃亡させ、「トモダチ作戦」の戦費は日帝に請求するなど、米帝は独自で軍事演習さえも行えない実態をさらけ出し、「トモダチ作戦」は米兵に被爆強制させたが、被爆米兵から東電賠償裁判を行う反撃も起こっている。 なによりも東北労働者の「復興特区を許すな」「原発を廃炉に」の闘いで闘う労働組合を甦らせ、大震災・原発事故が軍事問題-体制打倒の闘いであることを示した。米帝は、アーミテージ・ナイレポートにおいて、原発事故を契機に最弱の環としての日帝を恫喝し、さらなる従属を強制し、屈服することを公言してきた。
しかし、帝国主義どもは原発事故を止められないだけではなく、原発事故が人類の破滅に向かうかもしれない現実さえも資本主義の延命のために利用しようとしているのだ。反原発闘争は体制打倒闘争以外の曖昧さは許されない闘いである。ここに沖縄と福島を結ぶ闘いがある。
アーミテージ・ナイレポートにおける沖縄に関する「普天間」という項目は極めて短いものである。「日本における米国軍の存在は、共同関係に留まらない。同盟の長年にわたり沖縄の米軍基地再編の詳細について非常に高い注意を払っている。結果として、第三次問題の普天間の海兵隊飛行場は、今後のための最適な軍編成計画に投資できたであろう時間と政治資金を使い果たしてしまった。過去の再編から生じる問題はそれがどのようなものであれ、我々が堅く未来に照準を合わせればより容易に解決できるものと考えている」としている。
この短い項目に日米帝が基地問題を解決できなくてデットロックの乗り上げているのが読み取れる。帝国主義どもには闘う労働者階級の決起が「見えない」のである。特に沖縄現地で米軍占領下から「反基地闘争」を担う沖縄労働者階級の存在を強制的・暴力的に粉砕しろと強要しているのである。さらに基地内で今日起こっていることを鑑みれば基地労働者も兵士も「外注化・非正規職」に叩き込み、さらなる基地に依拠する状況を作ると公言しているのである。
沖縄現地・米軍基地を抱える都道府県で米兵の些細な「事件・事故」であっても日米安保への怒りが蔓延している。米軍兵士の「風紀の乱れ」はベトナム戦争当時を再現しているかのようで、いつ「コザ暴動」が起きてもおかしくない状況にまでなっている。「風紀のみだれ」は、裏を返せば米帝・米軍の統制が兵士に効かなくなってきていることの現れだ。ここから兵士の決起も始まるのである。
特に沖縄基地労働者の「生きさせろ」のストライキ決起は「労働者は死んではならない。死すべきは基地だ」を突きつけている。基地労働者の「外注化・非正規職撤廃」闘争と連帯して闘う事が重要である。
●国際連帯の力で基地撤去を勝ちとろう!
11・4全国労働者総決起集会が開催された当日、「止めるぞ!オスプレイの沖縄配備 許すな!低空飛行訓練11・4全国(芝公園)」が対抗的に開催された。しかし、労働者・労働組合の怒りをおさえ、主催者の思惑は民主党政権にオスプレイ配備はやめてくれと懇願するものでしかなかった。また、沖縄県全41市長村長をはじめ代表団参加による「オスプレイ配備撤回! 普天間基地の閉鎖・返還! 県内移設断念! 東京集会(日比谷野音)」も同様に政権交代した安倍政権に懇願するものでしかなかった。こんなことを何度繰り返してきたことか。これは「ささやかな沖縄の願い」さえも沖縄現地では実現出来ないということなのだ。
特に1・27集会は、41全市町村長・議員らが大挙参加したことに「なんら意義」があるのではない。住民団体・労働組合主導の11・4集会から行政主導の1・27集会は「基地撤去」を労働者の決起で勝ち取るのではなく、「行政問題」として歪曲し、取引きの材料として「基地容認」を実現するための行動でしかないのだ。
3・11福島原発事故二周年現地集会をめぐる攻防で、福島大学の清水は「福島復興運動を沖縄のように全市町村ぐるみの闘いにできないものか」と発言した。この発言に「原発推進・体制擁護」のあからさまな意志が読み取れる。沖縄市町村会の思惑が見透かされているのだ。「島ぐるみ」「党派をこえて」は政権・体制打倒を労働者に言わせない「口実」でしかないのだ。
また、沖縄現地・本土で沖縄出身者の「基地を今すぐ本土に持って行け」という「潮流」は基地を必要としているのは資本家であって労働者ではないことを捨て去り、「本土-沖縄の対立」をデフォルメしているだけで糾弾主義そのものだ。
民主党鳩山の「県外・国外移転」発言に乗っかかり民主党政権を支持することで、基地問題を「解決」できると主張し、それが民主党政権に反故されると日帝にその発言の実施をせまる「潮流」もあるが、それらは皆、米帝・日帝打倒闘争からの逃亡、「日米安保容認=基地容認」でしかないのだ。ましてや「国外」など論外だ。
「基地はどこにもいらない」「死すべきは基地だ」の沖縄労働者の声は、沖縄の米軍基地撤去の闘いを米帝への反基地闘争として世界の労働者階級の前に示し国際連帯・団結の力として輝きをましているのだ。本土における「基地撤去」の闘いを、労働者階級の日帝打倒の「決起の場」として取り戻さなければならない。
●国際連帯と労働者の団結の力で外注化阻止・非正規職撤廃と闘いとろう!
沖縄全市町村において「行政改革」「民間力活用」「雇用の拡大」という国の「行政の外注化・非正規職化」政策を積極的に推進しているのは沖縄全市町村長である。「基地撤去、外注化・民営化・非正規職化賛成」というスローガンでは資本主義のもとで基地撤去が可能であるかのような幻想をふりまき、「沖縄振興策」に依拠した現実しか生みださないのである。それは沖縄現地の青年労働者が「生きさせろ」「非正規職撤廃」をかかげ、合同労組に加盟して決起したことで既に破綻しているのだ。
今や、資本主義体制は労働者を特に青年労働者を「生きさせる」こともできない状況におとしこめている。沖縄出身労働者も例外ではない。特に「外注化・非正規職化」は基地職場においても進行している。基地職場では、非正規職化にこれでは「生きられない」という怒りの声があふれている。「安保の内実」として基地を動かしているのは労働者なのだ。だから侵略を止めるのも労働者なのである。基地労働者の決起・団結の組織化は基地労働者のみの闘いではない。「外注化反対・非正規職撤廃」の闘いで世界の労働者階級と連帯し、自らの職場で仲間を組織するところから始まるのだ。
すべての在本土沖縄出身労働者・青年労働者は、5・15沖縄現地に結集しよう。5・15沖縄現地闘争を「基地撤去、外注化・非正規職撤廃」闘争として闘おう。