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沖縄-本土労働者は団結しよう!沖縄・奄美出身労働者はたたかうユニオンに入ろう!沖縄・奄美出身者への差別を許さない!= タイトル =

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    ローカル線の廃止を阻もう
            
    災害を口実に廃線狙うJR
     JR資本は各社とも、ローカル線の廃止に向けて動いている。JRが強行する第3の分割・民営化攻撃は、鉄道業務の全面的な外注化や労働組合の破壊とともに、地域住民から必要な交通手段を奪う廃線化でもある。

    「財政支援」の名で廃線を迫る国

    http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2018/photo/f2968_01_03a.png

     JR北海道は16年11月に「13線区1237㌔メートルは維持困難」と発表して以来、ローカル線の廃止を地元にのませようと必死になってきた。すでに石勝線の新夕張―夕張間の廃止は夕張市との間で合意がなされ、留萌線、札沼線の北海道医療大学―新十津川間、根室線の富良野―新得間、高波の被害を受けて運休中の日高線の鵡川(むかわ)―様似(さまに)間の4線区についても、JRは廃止を既定方針にして自治体との協議に臨んでいる。
     安倍政権は、そのJR北海道に対し、さらに廃線を加速しろと迫っている。
     7月27日、石井啓一国土交通相が、JR北海道に対し経営改善を指示する監督命令を出すとともに、2019~20年度の2年間で総額400億円の財政支援を行うと公表した。その際、石井国交相は「2年間で目に見える成果を挙げることが重要」とJR北海道に突きつけた。
     財政支援と言っても、対象は施設や車両の修繕費、青函トンネルの維持管理費などに限られている。JR北海道の経営を抜本的に立て直すものではない。しかもその支援策は、国と同額の負担を地元自治体が負うことを前提にしたものだ。
     安倍政権はJR北海道が求めた2030年までの長期支援さえ拒んだ。要は、2年後には「成果が出なかった」として全面的な廃線を強行することが狙いだ。

    ストを構え反撃する動労西日本

     7月に西日本一帯を襲った豪雨災害は、安倍政権による人災だ。JR西日本はこの災害を口実に、ローカル線を廃止しようと狙っている。
     JR西日本は芸備線の狩留家(かるが)―備後落合間、福塩線の府中―塩町間、呉線の三原―安芸川尻間の復旧は来年1月以降になると発表した。特に芸備線の狩留家―三次間の復旧は1年以上かかるという。
     JR西日本の来島達夫社長は7月18日の記者会見で、「存廃は地元自治体との協議次第」と表明した。地元自治体が金を出さなければ、鉄道を復旧しないということだ。
     JR西日本は、今年3月の三江線の廃止に続いて、ローカル線の切り捨てを強行しようとしているのだ。
     JR四国でも、予讃線の卯之町―北宇和島間が不通になったままだ。同社の半井真司社長は、「豪雨災害により今年度は赤字」「JR北海道のように国の支援が必要になる」と述べた。これは、やがてはJR北海道のように廃線に進むという意思表示だ。
     こうしたローカル線の切り捨てに対し、動労西日本は9月10日、山陽本線五日市駅を拠点にストライキを構えている。労働組合の闘いこそが、地域住民の生活を守るのだ。

    地方を破壊してリニアに3兆円

     ローカル線の廃止に動いているのはJR東日本も同じだ。JR東日本が7月に発表した経営計画「グループ経営ビジョン『変革2027』」は、「地域特性に応じた輸送モードへ転換」を掲げている。ローカル線のバス転換・廃止を推し進めるということだ。
     この攻撃に対し、動労千葉は地域の住民と結び、内房線や外房線を守る運動を繰り広げている。
     JRによって必要な交通手段を奪われようとしている地域住民の怒りの矛先となっているのが、リニア新幹線への3兆円もの財政投融資資金の投入だ。ローカル線を維持するためなら、これほどの巨費はいらない。それを拒む安倍政権が、完成の見通しすら立たないリニア新幹線には湯水のように金をつぎ込んでいる。JR東海名誉会長の葛西敬之は安倍の盟友であり極右・日本会議につながる経営者集団「さくら会」の重鎮だ。何より国鉄1047名解雇の首謀者だ。リニア新幹線への国費の投入は、森友や加計を上回る公費の私物化、大疑獄だ。
     改憲・戦争に突き進む安倍政権とJR体制を倒そう。ローカル線の廃止を阻み、住民の生活を守る道はそこにある。

    転載元: たたかうユニオンへ!


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    改憲阻止の命運かけ9月へ
    戦争、非正規化、社会崩壊の現実に立ち向かう労働者階級の大運動を
    11月集会実行委 動労千葉・田中委員長の提起
                                                 http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2018/photo/f2969_01_01a.jpg
     8月26日、東京都内で11・4全国労働者総決起集会と改憲・戦争阻止!大行進の第2回共同実行委員会が開催され、会場を満杯にして活発な討論が行われた。冒頭、主催団体である全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部の西山直洋さんから、この間の関西生コン支部に対する警察の不当弾圧が報告された。西山さんは「安倍政権は今、国家を挙げての弾圧で闘う労働組合をつぶそうとしている。11月集会は絶対に成功させなきゃいけない」と訴えた。動労千葉の田中康宏委員長が実行委員会からの提起を行い、これを受けて各地区・団体からの報告・発言が続いた。以下、田中委員長の提起を紹介します。

    大行進、国鉄で新しい運動

     この間、各地区で準備と議論が進み、新しい挑戦が始まっています。例えば8・5〜6の広島では、国際連帯という点でこれまでとは次元が異なる飛躍がかちとられ、ヒロシマ大行動も現地の教育労働者と自治体労働者が前面に出て、新しい運動が動き出しました。
     国鉄闘争では、1047名解雇撤回を求める新たな労働委員会闘争の第1回調査が始まりました。これは本当に理にかなった闘いです。僕らは、不採用基準が不当労働行為に基づいて作られていたことを、30年もかかったけれど最高裁に認めさせた。その不採用基準を作ったのは旧国鉄ではなくJRだったということを暴いた。だから僕らはJRに対して繰り返し団体交渉を求めましたが、拒否されました。労働委員会に申し立てるのは当たり前じゃないですか。ところが千葉県労委の審査委員長は「当委員会は最高裁決定に反した命令を書くことはできません」と冒頭から言ったんです。これはもう徹底的に闘って、絶対に国鉄分割・民営化に決着をつけてやろうと腹を固めました。これが改憲を止める力になると確信します。
     3労組の事務局会議では、関西生コン支部への大弾圧の問題を前面に押し立てて11月集会を開催することを決めました。弾圧の背後にいるのはゼネコンであり、セメントメーカーであり、政府です。関西生コン支部のように、労働組合の団結した力で中小零細の生コン会社も協同組合に組織して、その力でゼネコンやセメントメーカーと断固闘うという産別労組のあり方は、新自由主義と真っ向から対決する構図です。単に関西生コン支部だけの弾圧だと考えてはいけない。これは闘う労働組合を全部つぶすという攻撃であり、労働組合をつぶすことが戦争への道なんです。これに勝てれば戦争は止められる。そのように構えなければいけません。
     また先日、民主労総ソウル地域本部と協議を行って、今年も東京―ソウル国際共同行動という形で開催することが決まりました。
     それと、とめよう戦争への道!百万人署名運動の方から、11月集会と大行進の組織化の武器として改憲阻止の署名運動を全力で進めようと提案されました。「憲法への『自衛隊』明記と『緊急事態』新設に反対します」という署名です。それぞれの職場や地域で組織化の武器にしてほしいと思います。

    改憲政治日程との激突必至

     安倍首相が8月12日、極右国家主義者の主催する「『正論』懇話会」で講演し、次期国会に自民党としての改憲案を提出すると明言しました。これをもって事態は一変しました。安倍は去年の5月3日に「2020年までに新憲法を施行する」と発言しましたが、今回の講演は単なる宣言ではなくて、この秋から具体的な政治日程を始めるということです。
     安倍は実際にはグラグラで全く自信がない。通常国会でも国民投票法の改定をやるはずだったのにできなかった。憲法に手をつけた瞬間にどうなるかわからないからです。だけど安倍はもうやる以外にないと腹を決めている。秋の臨時国会での改憲発議は絶望的と言う人がいますが、絶対に武装解除してはダメです。
     9月の過程は日本の労働者の未来にとって一つの分岐点になる。自民党総裁選が9月20日。9月19〜20日がUAゼンセンの全国大会。9月30日が沖縄県知事選の投票日です。安倍は総裁選を乗り切って、沖縄知事選が終わった途端に辺野古に土砂を搬入し、臨時国会を開こうとしてます。いよいよ改憲と衝突する具体的な政治日程が始まる。ここで安倍政権を打ち倒していくことを構えたい。
     こういう中で、支配階級内部の権力闘争も始まっています。「日経ビジネス」が安倍政権弾劾特集みたいなことをやっています。「第3のモリカケ問題」としてリニア中央新幹線を取り上げている。政府が一企業に3兆円も融資するのは前代未聞だと。安倍とJR東海名誉会長の葛西敬之がJR東海のホテルで談合を重ね、政府の金をモリカケの比ではないほどつぎ込んだと書かれています。葛西のインタビューも載っていますが、記者に追及されて葛西がオタオタしている。リニア新幹線計画は「成田闘争化」しているとまで書いてある。
     これは明らかに権力闘争です。このまま突っ走ったらこの国は崩壊するんじゃないかという危機感が支配階級内部にある。そういう情勢です。しかし、こんなものに依拠するわけにはいきません。労働者が闘って安倍を倒さなかったら、戦前の2・26事件のように支配階級内部の権力闘争を通じて世の中全体が反動化させられるんです。
     こういう情勢だから、敵の側はもう改憲・戦争しか道はないと言っている。けれどもそれは社会の変革のチャンスです。

    労働基本権解体を許さない

     この間、改憲・戦争との対決をあらゆる運動の土台に据えることを訴えてきました。その上で、三つの問題を一つにとらえて運動にすることが求められています。一つは、改憲や戦争に向かう政治に対して人生をかけて闘うこと。二つには、職場での非正規職化や労働組合つぶしと闘うこと。三つには、新自由主義のもとで社会そのものが崩壊させられようとしている現実との対決です。戦争の問題、職場での権利や団結の問題、それから社会全体がここまで崩壊して、医療も教育も社会保障も、人間が生きていくためのあらゆる前提が壊されていること----この三つを一つの問題ととらえて、これに立ち向かう労働組合の力を示していかなければなりません。
     アメリカの教育労働者の闘いを見て、本当にそう思いました。教材すら用意できず、週4日しか学校を開けない。そういう教育の崩壊に対して、労働組合が闘いを訴えたときに、周りのすべての人々とつながる闘いになった。そういう闘いを、僕たちも11月集会に向けてつくっていきたい。
     また安倍の「働き方改革」との闘いもこれからです。「非正規労働者5年目の『ジェノサイド』」という見出しの記事が、ヤフーニュースでも紹介されていました。無期転換で起きていることは非正規職の「ジェノサイド」、つまり「皆殺し」です。そして9割の労働者を非正規職・最低賃金にして、残った1割は高プロ制度で労働時間なんか関係ないようにしてしまう。さらにその先にはあらゆる労働を「雇用関係に基づかない働き方」、つまり個人請負にする。労基法も最低賃金法も社会保障関連法も適用されない存在にするということです。
     文字通り戦後の労働法制と労働基本権の最後的解体です。もう労働者は職場から怒って立ち上がらないといけない。これは明らかに憲法28条の解体であり改憲攻撃です。11月集会では、労働基本権の解体は許さないといった内容で声明をあげることを考えたいと思います。
     自民党総裁選から沖縄県知事選挙の過程では、職場からの闘いと同時に、「改憲・戦争するな! 辺野古を埋め立てるな」と訴える大街宣で埋め尽くさなきゃならない。それから10月冒頭、臨時国会の開会日には国会前闘争を呼びかけ、僕らの戦闘宣言としたいと思います。さらに11月4日当日に向けて、1万人を目標に個人・団体の賛同運動とチケット販売運動を全力で取り組んでほしいと思います。そして改憲反対署名を組織化の武器として、職場・地域で全力で取り組むことを呼びかけます。

    転載元: たたかうユニオンへ!


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    「お前は見捨てられたんだ」 職員の暴言、自殺者…… 入管施設の“異変”


     
    「すごい地震で、暗くて、怖くて」と、ナイジェリア出身のアヒンバレ・ケリーさん(31)がガラス越しに言った。面会室は狭い。ガラスは厚く、向こう側が少し歪んで見える。ケリーさんは、長崎県大村市の大村入国管理センターに収容されていた2016年4月の未明、熊本地震の大きな揺れに遭遇した。ところが、照明はなかなかつかず、地震の情報もない。鹿児島に住む息子への電話も許されない。何より、当直職員の言葉に耳を疑ったという。「電話は必要ない。おまえは家族に見捨てられたんだ。国へ帰れ」————。全国の入国管理の現場から、収容をめぐる“異変”が相次いで伝えられている。収容期間が長引き、人数も急増。暴言・暴力を訴える声が途切れず、自殺者も出ている。いったい何が起きているのか。(笹島康仁、末澤寧史/Yahoo!ニュース 特集編集部)

    熊本地震の夜 収容施設でパニックに

    大村入管で起きたある刑事事件の被告人として、ケリーさんはこの7月、長崎刑務所(長崎県諫早市)の拘置区にいた。取材はその面会室で続いた。
    17歳で来日し、日本人女性と結婚した。2015年に離婚。その女性から身元保証を受けられなかったことで、福岡入国管理局に収容され、その後、大村入管に移された。中学生の息子とは電話で連絡を取り続けており、2016年4月の熊本地震の際は、とにかく息子の安否を確かめたかったという。
    大村入国管理センター。入管施設では、不法入国などを理由に強制送還の手続きを受けたり、難民認定を申請したりしている外国人を一時的に収容する(撮影:笹島康仁)
    ケリーさんは、当直の男性職員に「家族に見捨てられたんだ」と言われた後、こう問い返した。
    「どうしてそんなこと言うの? あなたにも家族がいるでしょう」
    すると、職員は「おまえの息子と、おれの息子とではレベルが違う」と言ったという。職員は笑っており、ケリーさんは見下されていると感じた。「アフリカ人はアフリカに帰れ」。そんな言葉も聞こえた。素足を靴で踏みつけられもした、とも訴える。

    「殺されるかと思った」

    熊本地震の夜、出来事はまだ続いた。
    ケリーさんによると、職員への怒りと地震への恐怖でパニックになり、電気ポットを投げて、壊した。トイレに入り、こもっていると、複数の職員に裸のまま引きずり出された。首元を押さえられ、「力を抜け」と何度も怒鳴られたという。
    「息ができなくて、殺されるかと思った」と、ケリーさんは振り返る。収容はその後も2年近く続いた。長引く収容へのストレス、不安から洗剤やピンを飲むといった自傷行為に走ったこともあったという。
    大村入管の居住スペース。定員は1部屋10人(撮影:笹島康仁)
    同センターはしばらくしてから、ケリーさんが電気ポットを壊したり、職員に頭突きしたりしたとして、被害届を出した。その後、今年1月末になって、彼は器物損壊などの容疑で大村警察署に逮捕され、刑事裁判の被告人になった。
    ケリーさんが訴える職員の発言などについて同センターに確認したところ「お尋ねのような事実は承知していません」との回答を寄せた。

    東日本では自殺者も

    「事件」や「異変」が起きているのは大村の施設だけではない。
    東日本入国管理センター(茨城県牛久市)では2010年にブラジル人男性、韓国人男性が相次いで自殺。14年3月にはカメルーン人男性が体調不良を訴えたにもかかわらず適切な医療を受けられず、死亡した。同じ月にはイラン人の男性がのどを詰まらせて死亡。法務省は同年11月になって、カメルーン人男性について「医療態勢に問題があった」との見解を示している。
    この施設では、昨年3月にも体調不良を訴えていたベトナム人男性がくも膜下出血で死亡する出来事があった。待遇の改善や再発防止を求め、施設内ではハンガーストライキ、施設外では家族や支援者らの抗議が続くが、今年4月にはインド人男性が自殺した。朝日新聞の報道によれば、この5月にも3件の自殺未遂があったという。
    政府の政策も後押しして、訪日外国人は増え続けている=2017年8月、成田空港(写真:アフロ)
    大阪入国管理局(大阪市)でも昨年7月、職員数人による「制圧」でトルコ人男性が骨折する大けがを負う事件があった。

    “異変” の始まりは2016年?

    大村の施設に収容された人々を支援する牧師の柚之原寛史さん(50)は「2016年の春ごろから状況が目に見えて悪くなってきました」と明かす。その一例は「仮放免」に表れている。人道的な配慮から収容中であっても拘束を解くこの許可が、なかなか出なくなったのだという。
    柚之原寛史さん。2005年から面会活動を続けている(撮影:笹島康仁)
    「それまでは半年ほど収容されていたら仮放免の許可が出ていました。それがほとんど許されなくなった。理由を聞いても答えてくれません。ストレスや不安からか、彼らの表情が明らかに変わり、それぞれの持病もどんどん悪くなっている。このままの状況が続けば、自傷行為が増えるのではと危惧しています」
    大村入国管理センターの収容者数は増え続け、今年4月1日現在、ブラジルやイランなど23カ国の男性93人。人数は3年前の3倍超になった。ほとんどが半年以上の長期収容だ。ここに来る前の別施設と合わせた収容期間が5年9カ月に及ぶ人もいる。
    大村入国管理センターへの取材データから作成

    「刑務所の方がまし」

    「収容が長引くと、まず目が悪くなる」と柚之原さんは言う。「緑がない。自然のものがないんです。一日中、コンクリートの部屋の中。やることもない。僕だったら、数日間で音を上げますよ」
    別の支援者によると、職員たちの暴言は例えば、「俺を怒らせたらすぐに強制送還するぞ」「ぼけ」といったもの。汚れた運動靴を食べ物と同じ容器に入れられたと訴える人もいる。
    柚之原さんは「刑務所の方がまし」と漏らす人にも出会ったという。「刑務所には仕事(役務)がある。自分がなぜ入れられて、いつまでいればいいのかも分かる。入管にはこれら全てがないんです」
    柚之原さんの手帳。日々の聞き取り内容が記録されている(撮影:笹島康仁)

    プライバシー」で取材は難航

    この7月中旬、柚之原さんと共に大村入国管理センターを取材することができた。
    ただし、制約は大きかった。当日示された「協定書」には「当該被収容者が個別具体的に識別できる質問はしない」とあった。その後撤回されたが、最初の説明では「名前」「国籍」も聞いてはいけない、とされた。
    大村入国管理センターが示した取材に関する協定書(撮影:笹島康仁)
    写真撮影は「被収容者が特定できないよう必要な編集・加工を行う」ことが条件。顔全体にぼかしを入れるよう求められた。「プライバシーの保護を確保する」目的とされたが、取材予定者の中には、柚之原さんを通じて事前に「顔の撮影や名前の掲載もOK」という人がいた。実際に話を聞いてみると、むしろ、「話を伝えてほしい」と希望する人ばかりだった。
    プライバシーは施設側ではなく、個人が判断するものではないだろうか。その点を尋ねると、同センター総務課長の池田和義さんはこう答えた。
    「プライバシーを『本人の自由』という意味では捉えていません。ここに誰々がいると分かると、知らない人が来て、抗議活動などで業務に影響する恐れがある。彼らの家族や関係者が責められることもあり得ます」
    自身の教会に立つ柚之原さん。毎週の面会活動に加え、入管施設内で礼拝も行う(撮影:笹島康仁)

    事情は一人ひとり違う

    柚之原さんは言う。
    「(収容された)彼らの話を聞いていると、それぞれ事情が違うことが分かります。仮放免を受けたい、弁護士を探したいという人、とにかく家族と会いたい、写真だけでも欲しいという人。励ます中で、母国に帰る決心をする人もいます。帰国を勧めることもあります。彼ら一人ひとりの必要を満たすことが私たちの役割です」
    柚之原さんに同行し、それぞれの事情に耳を傾ける取材は、こうして始まった。
    取材に応じたある男性は、鼻血が止まらないが、十分な治療を受けさせてもらえないと訴えた(撮影:笹島康仁)
    インドネシア出身のアリフ・グナワンさん(40)はブローカーから「日本に行けば稼げる」と聞き、技能実習生として来日した。費用は祖国の「危ない組織」に借りたという。「日本で働けばすぐに返せる」という説明だった。収容所生活は2年7カ月。「(帰国は)無理です。帰ったら(組織に狙われ)命を失う」と言う。
    「毎日が同じ。起きて、食べます。何も変わらない。病気もあるから外の病院と相談したいのに。ここの医者は『大丈夫』だけ。助けてください」
    アリフ・グナワンさん=大村入管内での写真はいずれも一部を加工しています(撮影:笹島康仁)
    ネパール出身のラジンドラ・ボーデルさん(35)は難民申請を続けているが、認められていない。2005年に留学生として来日。大学へ進学した後、学費用の180万円を盗まれ、学業を続けられなくなった。精神も病み、許されていた滞在期間を超えてしまったという。
    ボーデルさんはまた、今年4月に牛久市の施設でインド人男性が自殺したことを聞き、心を痛めた。
    「(法務省は)仮放免という紙一枚のために人を殺しています。仮放免にして、何か問題があったなら施設に戻せばいい。死んだ命は戻ってきません……。(世の中には)入管自体を知らない人もいる。状況がどんどん悪くなっていることをいろんな人に知ってほしいです」
    ラジンドラ・ボーデルさん。流暢な日本語を話す(撮影:笹島康仁)
    面会の様子。職員2人はメモを取る手を休めない(撮影:笹島康仁)
    大村入管で聞いた声をさらに紹介しよう。
    グエン・ヴァン・フンさん(46)は「最近、施設内でのトラブルが増えた」と感じている。17歳の時にベトナムから来た。ベトナム戦争が生んだいわゆる「ボートピープル」の1人だ。1975年のベトナム戦争終結後、社会主義体制になった国々から逃れたインドシナ難民は300万人を超え、日本も1万人以上の難民を受け入れた。フンさんは、法務大臣が難民としての定住を認めた証明書を今も持っている。日本人女性と結婚し、日本国籍を持つ娘たちもいる。
    ところが、その後、万引きで捕まって有罪となり、3年前に入管施設へ。娘たちのいる関東から引き離された。何度も仮放免を申請しているが、許可は出ない。
    「何が足りないから(仮放免が)だめなのか分からない。どうしようもありません。でも、娘たちには会いたい。ベトナムにいたら命がありませんでした。だから、子どもたちは頑張って勉強して(命を助けてくれた)日本の国に恩返ししてほしい」
    グエン・ヴァン・フンさん。歯が抜けてしまったという(撮影:笹島康仁)

    2015年まで「長期」避ける傾向

    実は、数年前まで全国の収容者数は減少傾向にあった。収容理由の大半を占める不法残留者は、1997年の約28万3000人から減り続け、2014年には6万人を割った。全国の年間延べ収容人員数も8万2306人(06年)から、1万3639人(14年)に。2015年9月には、定員300人の「西日本入国管理センター」(大阪府茨木市)が収容者数の減少で閉鎖されたほどだ。
    ところが、近年は不法残留者が増加に転じ、収容人員数も2017年には1万8633人に増えた。半年以上になる長期収容も増えている。
    不法残留者数と入管施設の年間のべ収容人員数の推移(法務省データから作成)。同省の「出入国管理」2017年版は「政府の観光立国実現に向けた取り組みが、不法残留者数の増加に少なからず影響している」と指摘する
    NGO神戸外国人救援ネットの草加道常さんによれば、2015年までは長期収容を避ける傾向があった。2010年の法務省と日本弁護士連合会との話し合いにより、人道的見地から仮放免を出していくことが確認され、長くても半年から1年で仮放免になることが多かったという。
    「ところが、ある日突然、仮放免が認められなくなった。どうしてだろう、おかしいな、と。さらに収容の長期化は進み、17年末にはっきりしてきた。その頃から長期収容の人が大村の施設に送られることが多くなりました」
    長期収容の理由はなんだろうか。草加さんによると、刑法犯のほか、オーバーステイ(許可された日数を超えた滞在)などが多い。そうであれば、長期収容もやむを得ないように思える。
    草加道常さんは20年以上外国人支援に携わる(撮影:末澤寧史)
    「どうでしょうか。家族、子どもがいるケースでも収容しています。日本国籍の妻と子どもがいても、です。罪を償った後で、家族と生活しながら更生することを全く想定していない。それ以上に問題なのは、こうした措置を入管だけで全部決めている、ということです」
    「主要国では、第三者委員会や裁判所が関与する制度を持っています。例えば、英国では収容に裁判所が関与し、被収容者の人権は保障されています。日本でも、刑事事件では逮捕から72時間が過ぎると、裁判所の判断を仰がないと身柄を拘束できません。その制約が入管にはないんです」
    入国管理局による収容は入管難民法に基づいて「入国警備官」が一手に行い、裁判所の判断などを経る必要がない。そのうえ、強制退去とする場合は、実際の送還まで無期限で収容できる。草加さんは「何年にも及ぶ拘束を一つの行政機関の判断で行っている。ほかの先進国なら、絶対に容認されないこと」と指摘する。
    大村入管のシャワールーム(撮影:笹島康仁)
    草加さんは、2015年9月に法務省が出した通達が「異変」のきっかけになったと考えている。仮放免の運用を厳格化する内容だ。
    この通達は「送還を忌避し、収容期間が長期化する被収容者が増えている」とした上で、それまでの「収容6カ月で仮放免の必要性・相当性を検証する」という方針を、1年を超える長期収容も選択肢に入れた内容に変えたのだ。
    「この通達以降、仮放免が出にくくなり、収容の長期化が進みました。仮放免中の監視も厳しくなった。職員が毎月抜き打ちで来たケースもあり、その時は職員が冷蔵庫を開けさせ、『買ったのか、お金はどうしたのか、もらったのか、誰からか』と。今年1月からは難民認定も厳しくなり、母国での非政府組織による迫害を理由に挙げる人は、申請をほとんど認められなくなった。けれど、政府自体がしっかりしていない国はいくらでもある。命の保証がないから日本に来ているわけです」
    NGO神戸外国人救援ネットのオフィス(撮影:末澤寧史)
    長期収容の問題について、法務省の基本姿勢は「あくまでもわが国から送還することによって収容状態を収束させるべき」(今年5月15日、参議院法務委員会での和田雅樹入国管理局長の答弁)というものだ。日本で働くことを目的に来日し、送還を拒否する人が相当数いるから、収容が長期化しているという。
    だが、草加さんはこう言う。
    「確かにブローカーを頼って就労目的で来る人はいるし、その対策は必要でしょう。ですが、母国の国籍を失っていたり、帰国すれば処罰される恐れがあったり、どうしても国に帰れない人がいるんです。彼らを長期間にわたって劣悪な環境の下に置き、病気の治療も認めず、長期の収容によって精神的・肉体的に疲弊させて、そして国に帰しているとすれば、それは拷問ですよ。国際社会でも今後問題になるでしょう」

    「国に帰りたい。けど、帰れない」

    この7月下旬、器物損壊の罪などに問われたケリーさんに対する判決が長崎地裁大村支部で出た。求刑の懲役1年6月に対し、判決は懲役10月。
    居住エリアのトイレ(写真中央奥のドアの内側)。熊本地震の夜、トイレにこもったケリーさんは裸のまま引きずり出された。刑事裁判では、その映像が証拠採用され、下腹部にもモザイクなしで法廷に流された(撮影:笹島康仁)
    ケリーさんは言う。
    「ぼくにも悪い部分はあった。けど、同じようなひどい扱いが、入管で起こらないようになってほしい。そのために、多くの人に今の状態を知ってほしい」
    「国に帰りたい。けど、帰れない」とも言う。頭にあるのは鹿児島県に住む息子だ。もう中学生になった。昨年のクリスマスには、支援者を通じて黒のダウンジャケットを贈った。サイズを選ぶために身長を聞くと、最後に会った時からずいぶん大きくなっていたという。
    「息子に会いたい。息子がいなかったら(故国に)帰ってるよ。でも、帰ったら二度と会えないよ。あの子の父親は私だけ……会いたいよ」
    入国管理をめぐる「異変」の核心は何か。柚之原さんは「入国管理局が国際的な基準ではなく、独自のルールで(収容者を)管理しようとしている」ことだと言う。
    そして、こんなことも話した。
    「日本でオーバーステイになったらどうなるか。『なぜそれを知らずに彼らは日本に来たんだ?』と思うこともあります。でもこの日本で、外国人がとてつもなくつらい思いをしていることを、ほとんどの日本人は知りません。そのことが不幸を招いていると思います。いつの日か、日本から難民が出るかもしれない。その時に初めて、彼らの気持ちが分かるのではないでしょうか」
    大村入管の居住エリアにある電話コーナー。祖国を経由した国際電話しか掛けることができず、日本国内にいる家族とゆっくり話せないという(撮影:笹島康仁)

    笹島康仁(ささじま・やすひと)
    高知新聞記者を経て、2017年2月からフリー
    末澤寧史(すえざわ・やすふみ)
    ライター・編集者。共著に『東日本大震災 伝えなければならない100の物語⑤放射能との格闘』(学研教育出版)、『希望』(旬報社)ほか。
    [写真]撮影:笹島康仁、末澤寧史  提供:アフロ

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    「お前は見捨てられたんだ」 職員の暴言、自殺者…… 入管施設の“異変”


     
    「すごい地震で、暗くて、怖くて」と、ナイジェリア出身のアヒンバレ・ケリーさん(31)がガラス越しに言った。面会室は狭い。ガラスは厚く、向こう側が少し歪んで見える。ケリーさんは、長崎県大村市の大村入国管理センターに収容されていた2016年4月の未明、熊本地震の大きな揺れに遭遇した。ところが、照明はなかなかつかず、地震の情報もない。鹿児島に住む息子への電話も許されない。何より、当直職員の言葉に耳を疑ったという。「電話は必要ない。おまえは家族に見捨てられたんだ。国へ帰れ」————。全国の入国管理の現場から、収容をめぐる“異変”が相次いで伝えられている。収容期間が長引き、人数も急増。暴言・暴力を訴える声が途切れず、自殺者も出ている。いったい何が起きているのか。(笹島康仁、末澤寧史/Yahoo!ニュース 特集編集部)

    熊本地震の夜 収容施設でパニックに

    大村入管で起きたある刑事事件の被告人として、ケリーさんはこの7月、長崎刑務所(長崎県諫早市)の拘置区にいた。取材はその面会室で続いた。
    17歳で来日し、日本人女性と結婚した。2015年に離婚。その女性から身元保証を受けられなかったことで、福岡入国管理局に収容され、その後、大村入管に移された。中学生の息子とは電話で連絡を取り続けており、2016年4月の熊本地震の際は、とにかく息子の安否を確かめたかったという。
    大村入国管理センター。入管施設では、不法入国などを理由に強制送還の手続きを受けたり、難民認定を申請したりしている外国人を一時的に収容する(撮影:笹島康仁)
    ケリーさんは、当直の男性職員に「家族に見捨てられたんだ」と言われた後、こう問い返した。
    「どうしてそんなこと言うの? あなたにも家族がいるでしょう」
    すると、職員は「おまえの息子と、おれの息子とではレベルが違う」と言ったという。職員は笑っており、ケリーさんは見下されていると感じた。「アフリカ人はアフリカに帰れ」。そんな言葉も聞こえた。素足を靴で踏みつけられもした、とも訴える。

    「殺されるかと思った」

    熊本地震の夜、出来事はまだ続いた。
    ケリーさんによると、職員への怒りと地震への恐怖でパニックになり、電気ポットを投げて、壊した。トイレに入り、こもっていると、複数の職員に裸のまま引きずり出された。首元を押さえられ、「力を抜け」と何度も怒鳴られたという。
    「息ができなくて、殺されるかと思った」と、ケリーさんは振り返る。収容はその後も2年近く続いた。長引く収容へのストレス、不安から洗剤やピンを飲むといった自傷行為に走ったこともあったという。
    大村入管の居住スペース。定員は1部屋10人(撮影:笹島康仁)
    同センターはしばらくしてから、ケリーさんが電気ポットを壊したり、職員に頭突きしたりしたとして、被害届を出した。その後、今年1月末になって、彼は器物損壊などの容疑で大村警察署に逮捕され、刑事裁判の被告人になった。
    ケリーさんが訴える職員の発言などについて同センターに確認したところ「お尋ねのような事実は承知していません」との回答を寄せた。

    東日本では自殺者も

    「事件」や「異変」が起きているのは大村の施設だけではない。
    東日本入国管理センター(茨城県牛久市)では2010年にブラジル人男性、韓国人男性が相次いで自殺。14年3月にはカメルーン人男性が体調不良を訴えたにもかかわらず適切な医療を受けられず、死亡した。同じ月にはイラン人の男性がのどを詰まらせて死亡。法務省は同年11月になって、カメルーン人男性について「医療態勢に問題があった」との見解を示している。
    この施設では、昨年3月にも体調不良を訴えていたベトナム人男性がくも膜下出血で死亡する出来事があった。待遇の改善や再発防止を求め、施設内ではハンガーストライキ、施設外では家族や支援者らの抗議が続くが、今年4月にはインド人男性が自殺した。朝日新聞の報道によれば、この5月にも3件の自殺未遂があったという。
    政府の政策も後押しして、訪日外国人は増え続けている=2017年8月、成田空港(写真:アフロ)
    大阪入国管理局(大阪市)でも昨年7月、職員数人による「制圧」でトルコ人男性が骨折する大けがを負う事件があった。

    “異変” の始まりは2016年?

    大村の施設に収容された人々を支援する牧師の柚之原寛史さん(50)は「2016年の春ごろから状況が目に見えて悪くなってきました」と明かす。その一例は「仮放免」に表れている。人道的な配慮から収容中であっても拘束を解くこの許可が、なかなか出なくなったのだという。
    柚之原寛史さん。2005年から面会活動を続けている(撮影:笹島康仁)
    「それまでは半年ほど収容されていたら仮放免の許可が出ていました。それがほとんど許されなくなった。理由を聞いても答えてくれません。ストレスや不安からか、彼らの表情が明らかに変わり、それぞれの持病もどんどん悪くなっている。このままの状況が続けば、自傷行為が増えるのではと危惧しています」
    大村入国管理センターの収容者数は増え続け、今年4月1日現在、ブラジルやイランなど23カ国の男性93人。人数は3年前の3倍超になった。ほとんどが半年以上の長期収容だ。ここに来る前の別施設と合わせた収容期間が5年9カ月に及ぶ人もいる。
    大村入国管理センターへの取材データから作成

    「刑務所の方がまし」

    「収容が長引くと、まず目が悪くなる」と柚之原さんは言う。「緑がない。自然のものがないんです。一日中、コンクリートの部屋の中。やることもない。僕だったら、数日間で音を上げますよ」
    別の支援者によると、職員たちの暴言は例えば、「俺を怒らせたらすぐに強制送還するぞ」「ぼけ」といったもの。汚れた運動靴を食べ物と同じ容器に入れられたと訴える人もいる。
    柚之原さんは「刑務所の方がまし」と漏らす人にも出会ったという。「刑務所には仕事(役務)がある。自分がなぜ入れられて、いつまでいればいいのかも分かる。入管にはこれら全てがないんです」
    柚之原さんの手帳。日々の聞き取り内容が記録されている(撮影:笹島康仁)

    プライバシー」で取材は難航

    この7月中旬、柚之原さんと共に大村入国管理センターを取材することができた。
    ただし、制約は大きかった。当日示された「協定書」には「当該被収容者が個別具体的に識別できる質問はしない」とあった。その後撤回されたが、最初の説明では「名前」「国籍」も聞いてはいけない、とされた。
    大村入国管理センターが示した取材に関する協定書(撮影:笹島康仁)
    写真撮影は「被収容者が特定できないよう必要な編集・加工を行う」ことが条件。顔全体にぼかしを入れるよう求められた。「プライバシーの保護を確保する」目的とされたが、取材予定者の中には、柚之原さんを通じて事前に「顔の撮影や名前の掲載もOK」という人がいた。実際に話を聞いてみると、むしろ、「話を伝えてほしい」と希望する人ばかりだった。
    プライバシーは施設側ではなく、個人が判断するものではないだろうか。その点を尋ねると、同センター総務課長の池田和義さんはこう答えた。
    「プライバシーを『本人の自由』という意味では捉えていません。ここに誰々がいると分かると、知らない人が来て、抗議活動などで業務に影響する恐れがある。彼らの家族や関係者が責められることもあり得ます」
    自身の教会に立つ柚之原さん。毎週の面会活動に加え、入管施設内で礼拝も行う(撮影:笹島康仁)

    事情は一人ひとり違う

    柚之原さんは言う。
    「(収容された)彼らの話を聞いていると、それぞれ事情が違うことが分かります。仮放免を受けたい、弁護士を探したいという人、とにかく家族と会いたい、写真だけでも欲しいという人。励ます中で、母国に帰る決心をする人もいます。帰国を勧めることもあります。彼ら一人ひとりの必要を満たすことが私たちの役割です」
    柚之原さんに同行し、それぞれの事情に耳を傾ける取材は、こうして始まった。
    取材に応じたある男性は、鼻血が止まらないが、十分な治療を受けさせてもらえないと訴えた(撮影:笹島康仁)
    インドネシア出身のアリフ・グナワンさん(40)はブローカーから「日本に行けば稼げる」と聞き、技能実習生として来日した。費用は祖国の「危ない組織」に借りたという。「日本で働けばすぐに返せる」という説明だった。収容所生活は2年7カ月。「(帰国は)無理です。帰ったら(組織に狙われ)命を失う」と言う。
    「毎日が同じ。起きて、食べます。何も変わらない。病気もあるから外の病院と相談したいのに。ここの医者は『大丈夫』だけ。助けてください」
    アリフ・グナワンさん=大村入管内での写真はいずれも一部を加工しています(撮影:笹島康仁)
    ネパール出身のラジンドラ・ボーデルさん(35)は難民申請を続けているが、認められていない。2005年に留学生として来日。大学へ進学した後、学費用の180万円を盗まれ、学業を続けられなくなった。精神も病み、許されていた滞在期間を超えてしまったという。
    ボーデルさんはまた、今年4月に牛久市の施設でインド人男性が自殺したことを聞き、心を痛めた。
    「(法務省は)仮放免という紙一枚のために人を殺しています。仮放免にして、何か問題があったなら施設に戻せばいい。死んだ命は戻ってきません……。(世の中には)入管自体を知らない人もいる。状況がどんどん悪くなっていることをいろんな人に知ってほしいです」
    ラジンドラ・ボーデルさん。流暢な日本語を話す(撮影:笹島康仁)
    面会の様子。職員2人はメモを取る手を休めない(撮影:笹島康仁)
    大村入管で聞いた声をさらに紹介しよう。
    グエン・ヴァン・フンさん(46)は「最近、施設内でのトラブルが増えた」と感じている。17歳の時にベトナムから来た。ベトナム戦争が生んだいわゆる「ボートピープル」の1人だ。1975年のベトナム戦争終結後、社会主義体制になった国々から逃れたインドシナ難民は300万人を超え、日本も1万人以上の難民を受け入れた。フンさんは、法務大臣が難民としての定住を認めた証明書を今も持っている。日本人女性と結婚し、日本国籍を持つ娘たちもいる。
    ところが、その後、万引きで捕まって有罪となり、3年前に入管施設へ。娘たちのいる関東から引き離された。何度も仮放免を申請しているが、許可は出ない。
    「何が足りないから(仮放免が)だめなのか分からない。どうしようもありません。でも、娘たちには会いたい。ベトナムにいたら命がありませんでした。だから、子どもたちは頑張って勉強して(命を助けてくれた)日本の国に恩返ししてほしい」
    グエン・ヴァン・フンさん。歯が抜けてしまったという(撮影:笹島康仁)

    2015年まで「長期」避ける傾向

    実は、数年前まで全国の収容者数は減少傾向にあった。収容理由の大半を占める不法残留者は、1997年の約28万3000人から減り続け、2014年には6万人を割った。全国の年間延べ収容人員数も8万2306人(06年)から、1万3639人(14年)に。2015年9月には、定員300人の「西日本入国管理センター」(大阪府茨木市)が収容者数の減少で閉鎖されたほどだ。
    ところが、近年は不法残留者が増加に転じ、収容人員数も2017年には1万8633人に増えた。半年以上になる長期収容も増えている。
    不法残留者数と入管施設の年間のべ収容人員数の推移(法務省データから作成)。同省の「出入国管理」2017年版は「政府の観光立国実現に向けた取り組みが、不法残留者数の増加に少なからず影響している」と指摘する
    NGO神戸外国人救援ネットの草加道常さんによれば、2015年までは長期収容を避ける傾向があった。2010年の法務省と日本弁護士連合会との話し合いにより、人道的見地から仮放免を出していくことが確認され、長くても半年から1年で仮放免になることが多かったという。
    「ところが、ある日突然、仮放免が認められなくなった。どうしてだろう、おかしいな、と。さらに収容の長期化は進み、17年末にはっきりしてきた。その頃から長期収容の人が大村の施設に送られることが多くなりました」
    長期収容の理由はなんだろうか。草加さんによると、刑法犯のほか、オーバーステイ(許可された日数を超えた滞在)などが多い。そうであれば、長期収容もやむを得ないように思える。
    草加道常さんは20年以上外国人支援に携わる(撮影:末澤寧史)
    「どうでしょうか。家族、子どもがいるケースでも収容しています。日本国籍の妻と子どもがいても、です。罪を償った後で、家族と生活しながら更生することを全く想定していない。それ以上に問題なのは、こうした措置を入管だけで全部決めている、ということです」
    「主要国では、第三者委員会や裁判所が関与する制度を持っています。例えば、英国では収容に裁判所が関与し、被収容者の人権は保障されています。日本でも、刑事事件では逮捕から72時間が過ぎると、裁判所の判断を仰がないと身柄を拘束できません。その制約が入管にはないんです」
    入国管理局による収容は入管難民法に基づいて「入国警備官」が一手に行い、裁判所の判断などを経る必要がない。そのうえ、強制退去とする場合は、実際の送還まで無期限で収容できる。草加さんは「何年にも及ぶ拘束を一つの行政機関の判断で行っている。ほかの先進国なら、絶対に容認されないこと」と指摘する。
    大村入管のシャワールーム(撮影:笹島康仁)
    草加さんは、2015年9月に法務省が出した通達が「異変」のきっかけになったと考えている。仮放免の運用を厳格化する内容だ。
    この通達は「送還を忌避し、収容期間が長期化する被収容者が増えている」とした上で、それまでの「収容6カ月で仮放免の必要性・相当性を検証する」という方針を、1年を超える長期収容も選択肢に入れた内容に変えたのだ。
    「この通達以降、仮放免が出にくくなり、収容の長期化が進みました。仮放免中の監視も厳しくなった。職員が毎月抜き打ちで来たケースもあり、その時は職員が冷蔵庫を開けさせ、『買ったのか、お金はどうしたのか、もらったのか、誰からか』と。今年1月からは難民認定も厳しくなり、母国での非政府組織による迫害を理由に挙げる人は、申請をほとんど認められなくなった。けれど、政府自体がしっかりしていない国はいくらでもある。命の保証がないから日本に来ているわけです」
    NGO神戸外国人救援ネットのオフィス(撮影:末澤寧史)
    長期収容の問題について、法務省の基本姿勢は「あくまでもわが国から送還することによって収容状態を収束させるべき」(今年5月15日、参議院法務委員会での和田雅樹入国管理局長の答弁)というものだ。日本で働くことを目的に来日し、送還を拒否する人が相当数いるから、収容が長期化しているという。
    だが、草加さんはこう言う。
    「確かにブローカーを頼って就労目的で来る人はいるし、その対策は必要でしょう。ですが、母国の国籍を失っていたり、帰国すれば処罰される恐れがあったり、どうしても国に帰れない人がいるんです。彼らを長期間にわたって劣悪な環境の下に置き、病気の治療も認めず、長期の収容によって精神的・肉体的に疲弊させて、そして国に帰しているとすれば、それは拷問ですよ。国際社会でも今後問題になるでしょう」

    「国に帰りたい。けど、帰れない」

    この7月下旬、器物損壊の罪などに問われたケリーさんに対する判決が長崎地裁大村支部で出た。求刑の懲役1年6月に対し、判決は懲役10月。
    居住エリアのトイレ(写真中央奥のドアの内側)。熊本地震の夜、トイレにこもったケリーさんは裸のまま引きずり出された。刑事裁判では、その映像が証拠採用され、下腹部にもモザイクなしで法廷に流された(撮影:笹島康仁)
    ケリーさんは言う。
    「ぼくにも悪い部分はあった。けど、同じようなひどい扱いが、入管で起こらないようになってほしい。そのために、多くの人に今の状態を知ってほしい」
    「国に帰りたい。けど、帰れない」とも言う。頭にあるのは鹿児島県に住む息子だ。もう中学生になった。昨年のクリスマスには、支援者を通じて黒のダウンジャケットを贈った。サイズを選ぶために身長を聞くと、最後に会った時からずいぶん大きくなっていたという。
    「息子に会いたい。息子がいなかったら(故国に)帰ってるよ。でも、帰ったら二度と会えないよ。あの子の父親は私だけ……会いたいよ」
    入国管理をめぐる「異変」の核心は何か。柚之原さんは「入国管理局が国際的な基準ではなく、独自のルールで(収容者を)管理しようとしている」ことだと言う。
    そして、こんなことも話した。
    「日本でオーバーステイになったらどうなるか。『なぜそれを知らずに彼らは日本に来たんだ?』と思うこともあります。でもこの日本で、外国人がとてつもなくつらい思いをしていることを、ほとんどの日本人は知りません。そのことが不幸を招いていると思います。いつの日か、日本から難民が出るかもしれない。その時に初めて、彼らの気持ちが分かるのではないでしょうか」
    大村入管の居住エリアにある電話コーナー。祖国を経由した国際電話しか掛けることができず、日本国内にいる家族とゆっくり話せないという(撮影:笹島康仁)

    笹島康仁(ささじま・やすひと)
    高知新聞記者を経て、2017年2月からフリー
    末澤寧史(すえざわ・やすふみ)
    ライター・編集者。共著に『東日本大震災 伝えなければならない100の物語⑤放射能との格闘』(学研教育出版)、『希望』(旬報社)ほか。
    [写真]撮影:笹島康仁、末澤寧史  提供:アフロ

    転載元: たたかうユニオンへ!


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    I am here, but… ~日本に生きる難民~

    認定NPO法人 難民支援協会を訪れた難民認定申請者 /筆者撮影

    「世界難民の日」

     2018年6月20日。世界難民の日。フランス・パリのレピュブリック広場で、難民支援にちなんだイベントが開かれていた。昨年、フランスが受け入れた難民の数はおよそ2万人。多様な人々が、お互いの故郷を思い、そしてフランスという国で生きていくことを確かめ合っていた。
     現在、世界中で難民となる人が増えている。その数は、昨年の統計では世界で6,850万人を超えると言われている。紛争や迫害によって、新たな危機の頻発や人道問題が長期化し、故郷を追われた人々だ。例えば紛争が長引くシリアでは、国民の25%である500万人以上が国外に逃れている。そして日本における難民の申請者も、01年の300人から、17年には約2万人に急増している。しかし昨年、認定をされたのはその0.1%、20人にすぎない。先進諸国の中でも飛び抜けて低い割合だ。

    日本における難民審査

     なぜ、この国では難民の受け入れが進まないのだろうか。東京・神田にある認定NPO法人「難民支援協会」(JRA)は、1991年から日本に逃れて来た難民の支援や国への政策提言を行なっている。広報担当の野津美由紀さんは、大きく次の二点に、日本の難民審査の問題があるのではないかと指摘する。
    1、制度上の問題
     難民審査は現在、法務局の入国管理局が担当している。この部署は、例えば麻薬の密売や犯罪者が入国しないようにと、犯罪を水際で防ぐ重要な役割を担っている。しかし犯罪行為を監視することと、迫害から逃れて祖国から日本にたどり着いた人を審査することは、性格の異なる専門性が求められるのは自明である。欧州では導入されている、移民省のような難民審査に特化した部署の設立が早急に必要なのではないだろうか。
    2、審査の厳格化
     例えば内戦が続くシリアでは、アサド政権への反政府デモに参加することは危険な行為だと認識されており、欧州ではその事実だけで難民として認定をされるケースが少なくない。しかし日本では、反政府デモに参加していたことを証明する書類の提出(デモの中心人物として政府からマークをされているといった具体的な新聞記事など)を求められ、しかも全ての書類を日本語で用意をしないといけない。祖国から逃れてきた人に対し、現地の書類を用意することを求めるという、審査基準の厳格化が問題視されている。
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    東日本入国管理センター

     茨城県牛久市にある「東日本入国管理センター」 ここには、難民申請者を含む多くの外国人が収容されている。定員は700名。入国管理局は、収容命令を受けたり、本国への送還措置が決まった外国人を収容所に入れ監視下に置く。厳重な警備が敷かれた施設内では、自殺を含む死亡事故、自傷事件、あるいは拘禁状態が長期間続くことによる精神疾患の発生が後を絶たない。
     前述の難民支援協会によれば、10年以降国内の入国管理施設で死亡した被収容者は、少なくとも8人に上るという。今年4月にも、施設内にてインド人の男性が自殺をする事件があった。施設から出るための仮放免申請も不許可となり、絶望ゆえの行動だったと言われている。
     「牛久入管収容所問題を考える会」の田中喜美子さんは、収容者との面会行動を通して、長期収容の問題に20年来取り組んでいる。犯罪者ではない難民たちが、いわば人権を奪われ、出口の見えない無期限の収容を繰り返されている現実に、憤りを隠さない。「2年3年の長期収容者は、16年には年間30~40人程度であったのが、現在は150人にも上る。今年6月段階の被収容者数340人前後の中で、およそ半数の方々が長期収容というのは、あまりにも異常なことだと言わざるを得ない」
     田中さんは市内で飲食店を営む傍ら、週に数回、これからも面会行動を続けていく覚悟だ。「収容されている人の中には、難民申請や仮放免申請が不認可となり続け、家族と引き離された人が数多くいます。日本で普通の生活をし、ただ生きていきたいだけなのに、何故このような仕打ちを受けないといけないのか。一刻も早く、家族の元に収容者を戻してあげてほしい」
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    日本に生きる難民

     東京の高田馬場にあるビルマ・ミャンマーレストラン「ルビー」 このお店は、日本で難民認定をされた男性が、02年にオープンをした人気店だ。
     店主のチョー・チョー・ソーさんが日本に来たのは91年の時。学生時代に88年のビルマ民主化運動に参加。軍部によってデモが弾圧され、身の危険を感じたチョーさんはタイを経由して、日本に逃れてきた。翻訳など様々な仕事で生計を立て、96年に日本政府に難民認定を申請し、運良く2年後に受理された。そして本国から家族を呼び寄せ、いまも日本で暮らしている。
     チョーさんは、いまも日本における難民保護が進まない現状を危惧しながらも、希望を込めて思いを語ってくれた。「難民申請者は、戦争や政治の問題、あるいは宗教的な問題など色々なバックグラウンドはあるけれども、共通しているのは、自分の国で暮らす事が出来ず、日本に逃れているということ。その人たちを排除するのではなく、どう一緒に暮らしていくかという思考に転換させる必要があると感じます。特に若い人たちには、自分たちがあと20年したら国や社会のリーダーになるのだという意識を持って、自分の考え方や見方をオープンに、まずは理解をするということをしてほしい。日本の将来のことを、そして将来的な政策を、いまから考える練習をしてほしいですね」
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    難民アシスタント育成講座

     今年7月、東京にて難民支援協会が主催する「難民アシスタント育成講座」が二日間に渡って開催された。参加者の中には学生の姿も多く、みな自らの問題意識を持って情報を吸収しようという姿が頼もしく映った。
     国連の定める難民条約に加入している国(日本も含まれる)が難民を受け入れる場合、難民の出身国に代わってその人権を回復し、守ることが義務付けられている。その場合、難民を保護する責務は主として条約に加入している各国政府にあると考えられている。国側も先月24日、法務大臣の閣議後記者会見で「『入国管理庁』のような外局を設けることも含め、組織体制・人員確保について速やかに検討を進める」と述べ、来年4月に向けて改編を目指す意向を示している。
     日本では残念ながら、難民支援について世間一般の声が後押しをし、大きく政策を動かす所までは至っていない。しかし難民支援協会を始め、民間の取り組みをサポートしていくこと、そしてこれからの共生社会に向けて、私たち市民、一人ひとりが意識を持ち、難民保護の世論を形成していくこと、更には私たちの声を代弁し実行してくれる政治家を選んでいくこと……それが、これからの未来を担う世代に課せられた使命であると強く感じるのは、私だけであろうか。
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    【この記事は、Yahoo!ニュース個人の動画企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】



    西原孝至映画監督・TVディレクター
    1983年、富山県生まれ。早稲田大学大学院国際情報通信研究科中退。14年に発表した映画『Starting Over』は東京国際映画祭をはじめ、国内外10箇所以上の映画祭に正式招待され高い評価を得る。近年はドキュメンタリー映画を続けて制作。16年に『わたしの自由について』(HotDocs国際ドキュメンタリー映画祭正式招待)、17年に『もうろうをいきる』を劇場公開。現在、テレビドキュメンタリー番組のディレクターとしても活動中。

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    アマゾンの過酷な労働実態

    欧州に広がる物流労働者の反乱





    転載元: 宝の山


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    アマゾンの過酷な労働実態

    欧州に広がる物流労働者の反乱





    転載元: 宝の山


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    北海道の震災で被災されたみなさんに、こころよりお見舞い申し上げます。
    今朝、面会前に、暁子さんから修三さんへの電話が通じました。ご無事だそうです。そのむね、面会で文昭さんにも伝えられたと思います。


    2018年9月5日、台風で一日遅れて暁子さんと誉夫さんが、面会に来られました。台風直撃で、葉っぱや枝が吹き落とされています。
    暑さもひと段落して、朝晩は20℃ぐらいになっています。昼間は32度ぐらいですが。今年中に取り戻そうを何としても実現したいです。

    徳島の街に帰ってきたら、ポッポ街の会場に貼ってあった、星野絵画展のポスターが風ではがされていました。さっそく直します。

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    宮古島ライブでは同級生が多数来てくれた。持つべきものは友と実感したよ!


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    われらが十亀さんが常連の「朝日歌壇」に衝撃の歌が並んだ。
    「マンデラを超える長き獄舎にて星野文昭無実を叫ぶ」
    そう、まったく、そう。
    先日も17~19の予定で星野文昭絵画展https://tamarentai.blogspot.com/2018/08/blog-post.html
    がおこなわれる多摩市永山でチラしまきをやっていると、チラシを読んで引き返してきた女性がカンパと賛同署名を差し出してくれた。
    彼女の顔には、「!?!?!?」

    1963年に逮捕されたマンデラさん呼ぶよが獄中27年をへて解放されたのが1990年。
    ホシノをめぐる事態とは、この日本社会というのがソ連崩壊前の、あのアパルトヘイトの南アフリカ以上の社会だということだ。
    自宅から前進社に住所を移したことを理由に逮捕された事件の先日の裁判でも、検察も裁判所もあたかも「これが民主主義だ」みたいな顔して平然としていたけど、こんなことに誰もが平然としているあり方自体がおかしいのだ。
    なぜ無実の政治犯が43年間も獄中に閉じこめられ、さらに44年目に突入しているのか。
    なぜなんだ!
    しかし、ついに学生運動も星野絵画展を開始するという。
    新自由主義によって共同性を奪い尽くされてきた若者がついに手をつないで立ち上がる時代が始まった。

    新全学連委員長のインタビュー記事がネット「アエラ」に掲載されています。https://dot.asahi.com/dot/2018083100060.html

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    闘う労働組合が過労死を防ぐ
    今、この話を聞こう!

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    闘う労働組合が過労死を防ぐ
    今、この話を聞こう!

    転載元: たたかうユニオンへ!


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    闘う労働組合が過労死を防ぐ
    今、この話を聞こう!

    転載元: たたかうユニオンへ!


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    転載元: たたかうユニオンへ!


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  • 09/14/18--07:31: 小池弾劾し両国街宣
  • 朝鮮人犠牲者追悼文を再び拒否
    小池弾劾し両国街宣

    (写真 両国駅前での小池知事弾劾の街宣は共感を呼び、110筆を超える改憲阻止署名が集まった【9月1日 東京・墨田区】)

     関東大震災から95年目の9月1日、朝鮮人犠牲者追悼式が墨田区横網町公園で行われた。東京労働組合交流センターは、昨年に続き今年も追悼文を拒否した都知事・小池百合子を弾劾する街宣活動に決起した。
     午前9時、動労千葉国際連帯委員会の山本弘行事務局長をはじめ15人がJR両国駅東口、西口、都営地下鉄の出入り口で「追悼文を再び拒否した小池知事を弾劾する」ビラを配布し、「憲法への『自衛隊』明記と『緊急事態』新設に反対します」という新署名を呼びかけた。
     マイクを握った動労東京の吉野元久委員長は、「関東大震災に乗じて内務省や警視庁がデマを流し、軍と警察、さらに自警団が朝鮮人6千人、中国人700人を虐殺したのは歴史的事実だ。小池は極右・ヘイト集団と共に排外主義を扇動し、安倍の改憲・戦争を進めている。労働者の国際連帯で改憲と戦争を止めよう」と切々と訴えた。
     追悼式の参加者が次々と立ち止まり、「改憲阻止、当然だよ」「小池知事は安倍と同類だね」「今朝の東京新聞(こちら特報部)を見て慰霊式に右翼が押しかけるなんて許せないと思って来ました」などと話になり、改憲阻止署名は110筆を超えた。
     小池は昨年に続き、今年も「全ての犠牲者に哀悼の意を示している。個別の形での追悼文の送付は控える」と追悼文を取りやめた。小池は、「虐殺はなかった」「朝鮮人暴動はデマではない」と主張する自民党都議・古賀俊昭と意を通じ、差別と襲撃を扇動し、朝鮮人・中国人虐殺の歴史を抹殺しようとしている張本人だ。
     築地市場の豊洲移転、東京オリンピックをはじめ首都・東京に渦巻く怒りを束ね、改憲・戦争阻止の大運動をつくり出そう。

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    「3年ルール」で大量首切り
      派遣労働者の雇い止め許すな!

     今年9月末を前に、全国で派遣労働者が雇い止め・派遣切りに直面している。これまで何年も同じ職場で働いてきた派遣労働者が、「10月からその職場で働くことを派遣先に拒否された」ということが相次いでいる。
     2015年の9月に安倍政権は改悪労働者派遣法を施行し、同じ派遣労働者を3年を超えて同じ部署へ派遣することを禁止した。それから3年を迎えた今年の9月30日以降、派遣労働者の大量解雇が始まる。2015年の改悪までは秘書や通訳、ソフトウェア開発、受付、取引文書作成など政令で定められた専門26業務については、派遣労働者が同じ部署で働き続けることに制限はなかった。15年当時は、54万人がこの26業務で派遣労働者として働いていた。安倍政権が強行採決した働き方改革法案と一体で、労働者を資本の好きなように使い捨てにしようとする攻撃である。

    改憲推進派が派遣切りを促進

     派遣法の改悪によって、派遣労働者は派遣切りにあうが、派遣先企業は労働者を別の人に代えれば、継続して派遣労働者を使い続けられるようにされた。1985年に派遣法ができた時は、労働者派遣は特殊な業務だけが対象だった。今はこの原則が180度転換されて、ほとんどの業種において派遣労働者を使えるようになった。
     改悪派遣法でも、3年を超えて働いた派遣労働者をそのまま同じ職場に置いておくならば、派遣先が直雇いしなければならない、という規定はある。しかし、この規定は解雇を促進するものでしかない。圧倒的に多くの派遣労働者は解雇され、働く場所を奪われようとしている。
     この改悪派遣法によって、派遣労働者は派遣先と派遣元の両方に搾取・収奪される労働者として固定化される。仕事の紹介料をとって金もうけをしている派遣元会社にとっては、派遣労働者は唯一の稼ぎの源泉であり、商品だ。そして、派遣先にとっては、雇用者責任の発生しない都合のいい労働力としてこき使える。派遣労働者は新しい職場を紹介されるたびに、職場を転々とさせられ、働けなくなるまで資本によってこき使われる。
     派遣法の改悪や労働者の非正規職化は、安倍をとりまく改憲推進の資本家たちによって進められてきた。

    「雇用に基づかない働き方」が狙い

     安倍政権が狙っていることは、9割の労働者を非正規職化・最低賃金にして、残りの1割を高度プロフェッショナル制度で労働時間の制限なく死ぬまで働かせることだ。さらにその先に、「雇用関係に基づかない働き方」として、労働者を労働基準法も最低賃金も社会保障も関係ない存在にまでしようとしている。
     しかしそれでも、労働者は職場で働き、仲間と労働を通して協力し、団結し、人間関係を日々築いている。労働者が派遣切りを許さないと訴え、職場の直雇いの労働者との団結をつくり、ともに派遣先の資本に対する闘争をつくり上げれば、安倍と資本家階級にとって大打撃となる。
     世界がリーマン・ショックで大恐慌に突入してから10年がたち、資本は賃下げ、非正規職化、外注化によって利潤をあげている。資本の利益のために、膨大な数の労働者が底辺に突き落とされている。
     労働者の闘いだけがこの状況を突破することができる。ゼネストに立ち上がる全世界の労働者とともに、職場で労働者を組織し、労働組合を立ち上げ、資本と闘い、自分と仲間を守り、共同性の中に生きよう。日本でもゼネストを実現しよう。


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    戦死せる教え児よ     竹本源治

    逝いて還らぬ教え児よ
    私の手は血まみれだ
    君を縊(くび)ったその綱の
    端を私も持っていた
    しかも人の子の師の名において
    嗚呼!
    「お互いにだまされていた」の言訳が
    なんでできよう
    慚愧、悔恨、懺悔を重ねても
    それがなんの償いになろう
    逝った君はもう還らない
    今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
    涙をはらって君の墓標に誓う
    「繰り返さぬぞ絶対に!」

    (この詩には次の反歌も添えられています)

    「送らじな この身裂くとも 教え児を 理(ことわり)もなき 戦(いくさ)の庭に」


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