獄中43年になる星野文昭との面会報告です。
5月徳島面会日記
星 野 暁 子
”懲罰”になったことを、19日付けの文昭からの手紙で知った。カバン作りを製品化するために、疲労困ばいの日が続いていて、そのために5月3日に配られたお菓子は夕食までに食べなければならないという遵守事項を読まずに夕食後に食べていたのは、遵守事項違反だと言うのだ。罰金500円という軽い懲罰だが、懲罰は懲罰だということで、2類から3類に降格になり3年間無事故だと一個もらえるバッチもとりあげられた。面会は、月5回から3回になり、手紙も月7回から5回になる。月1回の絵画クラブも、復帰まで参加できない。
21日。面会で文昭は「刑務所のための仕事で疲労困ばいしていた。バイクブーツの仕事の経験はあると言っても、カバンづくりは初めてだから大変だったんだ。ようやく製品化することができたよ。のめりこんでやっていたから寝ていても考えることが続いていて、へとへとだった。そのために遵守事項を見る気力もなくなっていた。刑務所は、一点を見て責めるのではなく、全体を見て判断すべきだ」と言った。疲れのため不整脈も出ているという。私も「刑務所の新たなプロジェクトのために、全力を注いだ結果がこんなことになるなんて、ひどすぎるよね」と言った。
5月20日、朝日に掲載された意見広告は、カットされて見ることはできなかったと言っていた。裏面は、コピーが配られたという。
22日。韓国民主労総のハンサンギュン前委員長が、仮釈放で解放された。その記事を見せた。意見広告のコピーも、アクリル板越しに見せた。差し入れもした。新聞実物は駄目だがコピーならいいというその根拠は何なのだろう。
「ソケイヘルニアは、出てきたら押してやるのをこまめにやっているので痛みはない。しっしんも、前は面になって出てきたので痛みもかゆみも大変だったけど、今は点で出てきているから、薬をぬると治まるようになっている」と文昭は言った。体調は、「疲労困ばいしていた以外は、大丈夫だ。懲罰以降
徹底して疲れをとるようにしていたから、今は疲れもとれているよ」と文昭。
私からは「文昭は責任感が強いから、疲れきるまでやってしまうけど、8時から4時まで仕事をしたら、後は切り替える。疲れないように仕事をしてほしい。今回も懲罰がなかったら、倒れたりしたかもしれない。不整脈もでていたわけだし。健康を維持して、ほどほどに仕事をやることも大事なことだ」と言った。すると文昭は、「今日は、暁子からこういうことを言われたことがよかった」と言った。
23日。6・3のパレードで歌ってほしい文昭の希望の曲を聞いた。「インター」の他は、WE SHALL OVER COMEがいいと言っていた。 宅下げした絵について話した。「これは、アフガンの少女たちが勉強ができるようになって、喜びを表現しているんだ。高松矯正管区のコンクールで4位か5位になった作品だよ。あともう一枚、戻ってきている絵があるんだ。暁子がおっぱいをあげている絵なんだ。これは審査の対象にならなかった。こういう作品は駄目ということなんだろう」
「大分の佐藤さん、懲罰の話をしたら「刑務所はひどすぎる」って怒っていたよ。その上で「『くそ真面目』の『くそ』をとってください」って言っていたよ」と言うと、「物づくりというのは、はじめるとのめりこむものだからね。暁子からも言われたから気をつけるよ」と文昭。
安倍の森友・加計問題についても話し、「『安倍を監獄へ、星野を解放へ』だよね」と私が言って、3回目の面会を終えた。